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2020年4月30日(木)
・今のままでは、緊急事態宣言の延長はやむを得ないけれど、このまま手をこまねいていたら、経済が壊れてしまうことは確実です。
人々の我慢の限界も超えてしまうでしょう。

私ごときに妙案があるはずもないけれど、どこかで、規制を緩めざるを得ないことは確実です。
その場合、北海道での推移が参考になると思います。
北海道は日本で一番感染数が多かったけれど、いち早く規制したために、一時は治まったかに見えました。
ところが、規制を緩めたために、再び感染数が増え始め、今では東京、大阪に次ぐ多さになっています。
何故こうなったかを丁寧に調べれば、どの規制を緩めたのが原因かを突き止められるかもしれません。
それがわかれば、自制すべき項目が絞れるので、もう少し規制を緩やかにできるのではないかと考えるのです。
当然プロは、あらゆる可能性を考えているでしょうが、プロには「失敗は許されない」という強迫観念があって、一歩を踏み出せないことも考えられます。

北海道を例に取れば、「規制を緩めるのが早すぎた。」という批判もあるでしょうが、これは人類にとって未知の領域なので、試行錯誤はやむを得ないことです。
おそらく、延長は一ヶ月くらいになるでしょうが、再延長にならないように、その間に医療崩壊を起こさず、経済崩壊も起こさない方策を見つけてほしいものです。

そのためには、外野の無責任なガヤガヤは控えた方がよろしいと思います。
アベノマスクや一律10万円給付の、後世の歴史審判で笑いものになるであろう愚策も、外野の責任が大いにあると思うからです。

2020年4月29日(水)
・昨日、ニュージランド首相がコロナとの戦いに勝利宣言したというニュースが入りました。
これを聞くと直ぐに、それに比べて日本の政治はだらしがないなどとおしゃべりする人が出そうなご時世ですが、今は冷静に判断しなければならないと思います。

私は今まで、ニュージランドについてはラグビーの強い国くらいの知識しかなく、首都の名前すら知りませんでした。
だから急遽調べたところ、人口は日本の125分の1,面積は日本の4分の3なので、コロナ対策をし易い国であることがわかりました。
また、日本と違って緊急時に対する法整備が整っているらしく、その詳しい内容はわかりませんが、いち早く、最高の規制「レベル4」をかけたそうです。

その成果が現れて、昨日は感染者が1人になって、勝利宣言になったようです。
ここまでこぎ着けたリーダーの手腕は高く評価されるべきですが、日本と異なって好条件があったからこそ可能であったことで、ニュージランドでできたのにという日本のリーダーへの批判は筋違いです。

もう1つ重要なことは、勝利宣言したけれど、これでニュージランドが完全に元の状態に戻せるのではなく、規制をレベル4から1段下げるだけで、依然としてレベル3の規制は続くということです。
仮にニュージランドでも、規制を全面的に解除したら、感染拡大は復活するはずです。
だから、世界中のどこの国でも、規制を外した場合、感染が復活し最も恐ろしい「医療崩壊」が起こるのは必然です。

当然過ぎることですが、日本もこの例外ではないので、ワクチンができるまでは、規制を続けざるを得ないと覚悟が必要です。

ただ、規制が続くと、医療崩壊よりももっと恐ろしい経済崩壊が起きる可能性があります。
この二つの相矛盾する崩壊をどのように折り合いをつけるかが、国や地方のリーダーたちの仕事だと思います。
ただし、誰にとっても未経験、未知の事態なので、試行錯誤はやむを得ません。
そして、もしリーダーたちが誤れば、最悪、我々には地獄が待っています。
そのことも覚悟して、私は待とうと思います。
残念ながら、それが民主主義国家の建前だからで、それ以外に私が採るべき道はありません。
そういうリーダーを選んだのは、私たちだからです。
更に、これに代わり得るリーダーも全く見当が付かないからです。
2020年4月28日(火)
・5月6日の緊急事態宣言の解除は100%あり得ないと思います。
現時点での解除は、元の木阿弥になってしまうからです。
全国に先駆けていち早く対応した北海道は、一時は治まったかに見えたけれど、規制を緩めた途端、再び感染が増え始めています。
今考えると、なるべくしてなったのです。
北海道だけでなく、全ての場所において、規制によってもたらされた小康状態は、規制を緩めた途端、元に戻るのは宿命だと思います。

最終的にコロナ禍が治まるのは、人間ひとりひとりがコロナウイルスに対する免疫を持つときで、たとえ全員でなくても、相当数が持つようになれば、感染拡大は止まるはずです。
しかし現状を見るに、国民が大いに自主規制しているにもかかわらず、感染者は増え続けているので、日本の免疫力は未だ不十分であるのは明らかです。
だから、今規制を緩めれば、感染は再び拡大することは確かです。
だから、宣言を解除することはできないはずです。

今、世界で一番感染者が多いのはアメリカのニューヨーク州です。
でも裏を返せば、免疫を持つ人間が一番多いのもニューヨーク州といえます。
だから、この難局を乗り切ったときには、ニューヨークは多くの免疫者に取り囲まれるので、世界で最も安全な地帯になる可能性があります。

一方、封じ込めに一番成功していると言われる台湾には免疫を持った人間は少ないので、規制を完全に解いたら、爆発的な感染になる恐れがあります。
多分、今でも緩やかながら何らかの規制をかけていると思われますが、これは長引かざるを得ないでしょう。

ところで日本を見てみると、アベノマスクとか全国民に10万円給付とかの愚の骨頂をやっているけれど、全体的には他国よりはマシに推移していると思います。
規制は緩やかなのに、感染者の増加は他国よりも緩やかだからです。

感染者が出るのは仕方ないとしても、この「緩やかさ」は大事です。
このコロナ禍で最も重要なのは医療崩壊を防ぐことです。
いくら患者数が増えても、治療する機関が充分にあれば全員をそこに収容し、他は日常生活を営み、集団免疫が付くまで待つことができるけれど、それは理想的な場合で、実際は、急激な患者増加は、機関の収容能力を超え、医療崩壊が起こります。
でも、今の日本のこの調子で、免疫を持つ人間が緩やかに増えていけば、かろうじてかもしれないけれど、医療崩壊は免れて、ヨーロッパのような悲惨は起きないで済みます。
そのうち、ワクチンもできるだろうから、それまでは、ガチャガチャ言わずにじっと辛抱することが大切と思います。

2020年4月27日(月)
・昨日の法事は卒塔婆が14本だったけれど、参列者は1家族だけの5人でした。
私が法事前に、この墓の周囲の草取りをしていたら、喪服姿のカップルが20分くらいかけて丁寧に墓参りしていました。
終わったあとに、「こんな時期なので、私たちは参加しませんが、今日の法事をよろしくお願いします。」と丁寧に挨拶されて帰られました。
これは、その家が自主的に判断されたことで、この例のように、今は寺が言わなくとも、檀徒自らがそれぞれの対策を講じています。

とうとう小田原市も、火葬場での会食を禁止したそうです。
コロナウイルスの感染実態が解明されていない現状では、これなら安全という基準がなく、慎重の上にも慎重な対応が望まれるので、これは当然すぎる処置だと思います。
しかし、これに一部の葬儀社が抵抗したようです。
一般檀徒でさえ、自主的に対応しているのに、プロの葬儀マンが、何に目がくらんだのか、仕事上での愚かしさをさらけ出してしまったのです。
こういう葬儀社は、閉店要請に応じないパチンコ店に群がる、パチンコ依存症人間と同じくらいの低レベルだと思います。
でもおかげで、ダメ葬儀社があぶり出されたので、私は葬儀社を鮮明に分別できるようになりました。


2020年4月26日(日)
・今日は、法事の前後2時間ずつ、芝生の中の草取りをしました。
いつもは、ナイロンコードの草刈り機を使うのですが、今日は1本1本手で抜きました。
時間は10倍くらいかかるけれど、根を残さないし、種が飛び散らないので、次に生えるのが遅れます。
更によかったのは、這いずって作業するので、残しておきたいネジバナが確認できたことで、新たに10本も見つけました。
昨年よりも明らかに本数が増えているので、夏の開花が楽しみです。
但し、今は右の親指と人差し指に痛みを感じます。
軍手をはめていたのだけれど、鍛え方が足りないからです。
明日は、ゴム手袋で試してみます。

今、境内は花盛りです。
クリスマスローズ、桜草、紫蘭、ホメリア、牡丹、オオムラサキ、藤、ドーダンツツジ、オオデマリなどなど。
早咲きのクレマチスも咲き始めています。
今日、写真を撮らせてくださいという女性が訪れました。

2020年4月25日(土)
・アメリカニューヨーク州で、無作為に選んだ3000人に抗体検査をしたら、14%に抗体があったというニュースがありました。
この割合は、感染者の割合より遙かに多く(10倍)、このことから、ウイルスに感染しても殆どの人は症状が出ないままにウイルスに打ち勝って抗体が出来てしまったという考えが成り立ちます。

これは朗報である反面、恐ろしいことでもあります。
測定した地域では、一時は7人に一人はウイルスに感染し、その大部分(9割)が健常者として振る舞い、ウイルスをまき散らしていた可能性があるからです。

これから世界各地で抗体検査が行われるので、これについての多くの情報が集って、実態が解明されるでしょうが、現時点では、感染していても多くは健常者と見分けが付かないと思っていた方が無難と考えます。
そういう意味で、実態がわかるまでは、私たちは慎重な上にもより慎重に対処すべきと思います。

楽観論者は、自分の周りには絶対に感染者はいないと思っているのでしょうが、それが誤りかもしれないのです。
今は、人が10人以上集まれば、その中に感染者は必ずいることを前提にして行動するのが賢明だと思います。

2020年4月24日(金)
・今日聞いた話では、小田原市火葬場での飲食は禁止になっていないそうです。
確かに、そこで飲食してもクラスターが発生する可能性は極めて低いので、それについてとやかく言うつもりはありません。
でも私は、少しでも可能性があるのなら、今は避けた方が良いと思っています。
これは、不要不急でない場合に要求されている自己規制と全く同じ、「心がけ」の問題です。
だから、少なくとも緊急事態宣言が発令されている間は、蓮台寺においては、葬儀でも法事でも会食を控えるようにします。
それを拒む葬儀社は、私の方から拒みます。
これは、「心がけ」の問題ですから。

2020年4月23日(木)
・数日前から新しいプリンターを使っています。
機種は、エプソンPX-S885。
前に使っていたのは、PX-S884で、それの改良モデルです。
PX-S884を購入したのは、大量印刷に適したエコタンク搭載だったからだけれど、不十分なままに売り出したらしく、不都合がいろいろ出てきて、我慢しきれなくなって、買い換えることにしました。
別の機種にしなかったのは、高価な未使用のインクがそっくり残っていたのが理由です。

新しいプリンターは、前の不都合はなく今のところ順調に動いています。
多分最初の機種はバグがたくさん出て、私以外からも苦情があって、それを改良したのがS885なのでしょう。

この経験はいい教訓になりました。
どんな機械も、新しく出たばかりの製品を購入するのは注意が必要で、出来れば改良版が出るまで待った方が良いということです。

2020年4月22日(水)
・私は、一律10万円支給は愚策だと思います。
他人はともかく、受け取るいわれのない私にも支給されるからです。
愚策である上に、いわれのないものを受け取るのはさもしいことで、そうなるのが嫌だから私は受け取りません。
まずは受け取って、それを基金に寄付することも考えましたが、寄付は別にするのが筋と考え直しました。
ただし、受け取るのが当然と考える人もいるでしょうから、そういう人は自分に正直に行動すればいいのです。
おそらく妻は申請するだろうけれど、家庭不和は生じません。

2020年4月21日(火)
・私は、葬儀の時には経本を作り、列席者にも別時念仏と往生讃を和してもらうようにしています。
以前は必ず通夜式を行ったので、経本の名前は「通夜式経本」でしたが、この頃は1日葬が増えているので「葬儀式経本」も作るようになっています。
2つの内容は全く同じで、表紙の名前だけが異なります。

昨日火葬場で、参列者のひとりから、「我家の葬儀の時にはこの経本はなかったけれど、いつから始めたのですか。」と質問されました。
私の記憶では、全ての葬儀で作ったはずでしたが、帰ってからコンピュータを調べたら、その家の経本だけが見つかりません。

原因がわからないままに諦めかけていたところ、その頃の日誌を調べていて、その家は、蓮台寺にとっては初めての1日葬だったことがわかりました。
それまでの葬儀では、別時念仏と往生讃は通夜式で読み、葬儀式では読まなかったので、初めての1日葬だったその家の葬儀式は従来通りに行ったので、経本は作らなかったのです。
なお、次の葬儀からは、1日葬の場合にも別時念仏と往生讃を取り入れるために葬儀式経本を作ったので、唯一、その家だけが経本なしの葬儀になっていたのです。

この葬儀は平成29年3月に行いましたが、またたく間にこのスタイルは広まって、それ以来毎年半数以上が1日葬になっています。
更に、今年は人の集まりを少なくするという社会的要請があるので、ますます1日葬が増え、コロナが終息しても、それが標準化していくものと思われます。
そうなったとしても蓮台寺では、「今までで一番良い葬儀でした。」と言われるような心構えでいたいと思います。

2020年4月20日(月)
・今日、火葬場で喪主の奥様から、「私は今までにたくさんの葬儀を経験しましたが、その中で一番良い葬儀でした。」とお礼を言われました。
11:00から始まった式で、火葬場での食事を控えたので、全員が昼食抜きになったけれど、それは葬儀の善し悪しには関係ありませんでした。
喪主が経験した葬儀の中には、面前で天ぷらを揚げる湘和の葬儀も含まれていたからです。

喪主はこうも申しました。
「雨でなかったら、もっと良かったのに。」
ということは、裏を返せば、スタッフの対応など、人的な面には大満足だったのです。

寺に帰ったら妻が待ってましたとばかりに話しました。
「寺を出るとき、(5台の)車に乗った全員が私に会釈してくれて、嬉しくなっちゃった。全員がマスクをしていたから、お辞儀をしてくれたのがよくわかった。こんなことは初めてだったので、涙が出そうだった。」
喪主以外の皆さんも同じように思ってくださったのだと思います。

喪主は、今日の葬儀を知り合いの皆さんに話されるそうなので、私たちが目指す「簡素で上品な葬儀」がまた少し広まるのは嬉しいことです。

2020年4月19日(日)
・明日の葬儀の参列者は13人で、マイクロバスを使わずに、乗用車に分散して火葬場に行くことになりました。
また、火葬場では食事をせずに、弁当を配ります。
両方ともコロナ対策ですが、これが何故対策になるかを整理してみます。

明日の葬儀に関わる人数は、参列者、葬儀スタッフ、運転手、火夫、そして私を含めて20人足らずなので、その中に感染者がいる確率は非常に小さいです。
でも万が一、ひとりでもいれば、密閉空間に大勢が1時間近く同席するマイクロバスは避けるべきです。
また、火葬場での食事は、食事の際はマスクを外すので、感染者からの飛沫が飛び散る危険があるので、これも避けた方が良いと思います。

同じ理由で、飲み物も避けた方が良いのですが、これはコップを口にするときだけマスクを外せば良いので、食事ほど危険は少ないと思います。
むしろ、1時間半の待ち時間を飲まず食わずにいるストレスを考えるならば、飲み物くらい出した方が良いと考えます。

なお、これからは当分の間、葬儀は少人数になるだろうから、接触の機会を減らす意味で、よほどのことがない限り、私は1日葬を勧めるつもりです。
2020年4月18日(土)
・今日の法事の卒塔婆は13本だったけれど、出席者は3人でした。
明日は法事が3軒予定されていたけれど、2軒がキャンセルされました。
明後日の葬儀では、管理者から火葬場での食事は控えて欲しいと言われたので、持ち帰り弁当を用意することにしたそうです。

こういった「自主規制」が、日本中のあらゆるところでなされているだろうから、必ず効果は出て来るような気がします。
おそらく、感染爆発や医療崩壊は起こらないで済むように思います。
当然、そうならないように必死の対策もなされるでしょうから。

大阪府知事が、コロナ患者の治療を行う医師、看護師、医療関係者のための基金を創り、早速、高須クリニックの院長が手を上げたという記事を読みました。
自らが感染する危険を冒しての献身がなければこの苦難は乗り切れないのだから、それに感謝し励ます意味で、よい企画だと思います。
その基金に集まれば集まるほど、われわれの感謝、応援の気持ちが治療スタッフに伝わると思うからです。
だから、10万円を受け取らないよりも、受け取ってその基金に寄付した方が国庫に戻すよりもよほど有効だと思います。
神奈川県にも同じような基金が出来たらいいのですが、出来ないなら、私は大阪に協力するつもりです。

素人考えですが、私は今回の一律10万円支給は、愚策だと思います。
本当に困っている人には当面でも足りないだろうし、もし経済が直ぐに軌道に乗れば良いのだけれど、そんなことは期待できないので、今必要な人には、直ぐに2段3段を講じなければならなくなるでしょう。
そうなった場合、また一律何万円の支給となるのでしょうか。
ただし、もうそれは出来ないでしょう。
では、そうなった場合、これを強く要求していた人たちは、次は一体何を要求するのでしょう。

これはコロナ対策でなく、経済対策という人がいるかもしれませんが、外出制限が続く現状で、10万円の使い道などなく効果は期待できません。
リーマンショックの時とは違うのです。
結果はもうすぐ出ますが、私の心配が外れて、上手くいくことを願います。

2020年4月17日(金)
・昨日紹介した女性のご家族が亡くなられ、本堂で一日葬を行うことになりました。
彼女は当初、近所の会館で従来通りに通夜式、葬儀式を行うつもりでしたが、通夜式は行わなくても良いことと本堂葬儀だと負担が軽くなることを私が伝えたので素直に方針を変えました。

でもこのようなことは、常にあることではなく、たまたま入檀申し込みが葬儀の事前相談を兼ねたから起こった希な例です。
私は常日頃、事前相談の大切さを話していますが、檀徒の全てに伝わっているはずはなく、本当に承知しているのはせいぜい全檀徒の2,3割だと思います。

今回の女性のように、直接話しさえすれば、数分で理解してもらえるのだけれど、なかなか事前相談には至らず、いまだに後悔することがあるのが現実です。

ではどうすれば良いか。
連休明けには、維持会から全檀徒に向けて、通知がなされますが、それに同封する「住職からのお知らせ」に一工夫しようと思います。
平凡な書き方だと読んでもらえるのはせいぜい2割で、あとは直接ゴミ箱行きだろうから、せめて3割に読んでもらえるように、目を引く内容にしたいと思います。
原稿が出来たら、ここで公開します。

2020年4月16日(木)
・一昨日、ひとりの女性が訪ねてきて、入檀の意向を申されました。
蓮台寺を選んだ理由を聞くと、知り合いの葬儀に出席して、私の通夜説法に賛同したからだそうです。

私の説法はワンパターンで、余分返し葬儀をテーマにした話しかしてないので、何が気に入ったかは聞かなくてもわかります。
今までにも同じ理由の入檀がいくつもあったことは、一般の人の多くは私と同じ思いでいる証拠で、わかっていないのは、寺を含む葬儀業界の人間だけなのだと思います。
というよりも、彼らは目先の営利に目がくらんで、もっと大切なものが見えなくなっているのだと思います。

昨日私の留守に知人が訪ねてきて、「住職は湘和に乗り込んで話せばいいのに。」と妻に語ったそうですが、「そんなことしても無駄だよ。」と、私は妻に答えました。
既に私は「湘和嫌いの住職」として、かなり有名になっていて、おまけに、何度もタウン誌に広告を載せ、固有名詞は出さないものの「反湘和」のキャンペーンをしているので、私の主張を彼らが知らないはずはありません。
また、湘和の余分返しは構造的なものなので、簡単に変わるような代物ではないので、説得など、無駄中の無駄であることは明々白々なのです。
それよりも、まだ構造的にはなっていないが故に、これから変わり得る小規模葬儀社がいくつか現れることの方が葬儀を変えるには現実的な方策というのが私の考えです。

繰り返し述べているように、蓮台寺は葬儀を正常化することによって寺離れが食い止められました。
だから私は、夢を語っているのではなく、極めて現実的な方策を提案しているのです。

このままでは、寺離れに続いて、葬儀社離れが確実にやってきます。
そして、葬儀社は単なる「遺体処理業」になってしまいます。
これは遺族にとっても大変不幸なことです。

私は寺が変わるのはもう無理と諦めていますが、葬儀社にはまだ見込みがあるので、一刻も早く舵を切ってもらいたいと切に願うのです。
2020年4月15日(水)
・昨日の通夜説法では、いつものように「湘和の余分返し葬儀」について話しました。
そして、「こんなダメ葬儀をしている湘和が、この地で圧倒的なシェアを持っているのは、周囲の葬儀社も湘和と同じようなことをしていて、換わりの葬儀社がないから。」と付け加えました。
結局の所、このような現状を生み出した最大の原因は、葬儀に携わる葬儀マン全体の意識に欠陥があるからだと思います。
本人たちは本気で、遺族に寄り添う葬儀を行っているつもりでしょうが、余分返し葬儀が如何に葬儀を蝕んでいるかに気がつかないのは、彼らが本物でない証拠です。
「我が社は決して余分返し葬儀をおこないません。」の旗を掲げた葬儀社が1つくらいあってもよさそうなものですが、残念なことにまだお目にかかってはいません。
この頃は、遺族に寄り添う風に振る舞う葬儀マンを見ると「それは違うだろう。」と腹立たしささえ覚えるようになっています。

彼らは言い訳として、「余分返しは遺族が希望したから。」というのでしょうが、遺族に寄り添うことと、遺族のわがままなに付き合うこととはまるで違います。
愚かな遺族がいれば、葬儀マンは彼らを教育する義務があります。
それでも相手が頑迷であれば、そんな輩は湘和に回せばよいのです。

今、葬儀はどんどん縮小化され、「弔う」要素が捨てられて、単なる「遺体の処理作業」に堕ちつつある今、本来の葬儀を取り戻すことが、プロとしての葬儀マンの急務だと思います。
それは、湘和に代表される余分返し葬儀からの脱却で実現します。

2020年4月14日(火)
・ネットで、次のような記事を見つけました。
    ・・・・・  ・・・・・  ・・・・・
「田崎さんが9割の経済を止めて、政治が持つだろうかとおっしゃいますけど、9割の経済を止めたっていいじゃないですか。人の命を守って、そっから先に経済を立て直すという事は出来るわけですよ。命を亡くしちゃったら、経済の立て直しなんてありえないわけです」と反論。
 そして「極論かもしれませんけど、とりあえず人命を守りきるんだと。そこから先の事は、またみんなで知恵を絞ろうと。のん気な事を言ってる様ですけど、喫緊の課題はそっちだと思いますよ」と続けた。
    ・・・・・  ・・・・・  ・・・・・
一見もっともに見える、一般受けする見解だけれど、これがそのまま通用するなら誰も苦労などしません。

些細なことに見えるでしょうが、今回のことで学校が一斉休校になったとき、給食用の牛乳が余り、そのしわ寄せが酪農家にいった例がありますし、今は、レストランに卸すはずの野菜の行き場がなくなっているそうです。
命の重大さに比べれば、というかもしれませんが、これは農家にとっては死活問題なのです。

少し観点を変えてみます。
アビガンという薬剤がコロナに効くらしいと言うことで、官邸は認可を早めたがっているけれど、厚労省は慎重なようです。
嘗て、サリドマイド薬害を経験したからです。
焦って使い始めたら、とんでもない薬害に見舞われるかもしれません。
そうなった場合、被害者に対して誰が責任を取るのでしょう。

今回の災禍に対しては、未知の領域であるが故に、様々な意見が飛び交っています。
但しどれもが有効であればあるほど、副作用も強いと覚悟しなければなりません。
今は命を最優先にし、命を守ったあとに経済を立て直せば良いという意見が、一見最もらしく大手を振っているけれど、経済をおろそかにすれば、そのことによってもっとたくさんの命が失われることだってあり得るので、ことはそんなに単純ではないと思います。

ということで、私の今の立ち位置を申せば、「国の施策を静かに見守る」と言うことです。
勿論私は忖度政治など大嫌いだけれど、コロナ対策にそんなことを絡める気は毛頭ありません。

2020年4月13日(月)
・予報ほど強くはなかったけれど、一日中雨でした。
それよりも、冬が戻ったかと思えるほどの冷え込みには参りました。
それでも今日が処方箋の期限日なので、エチケット用のマスクを着けて、薬局に薬を取りに出かけました。
ついでに、久しぶりにセブンイレブンに回りました。
納豆とメカブとピスタチオとミックスナッツを籠に入れてレジに行くと、透明のビニールシートが胸の高さまで吊されていました。
飛沫感染を防ぐためのようで、妻の話では他の店でも採用しているようです。
マスクと同じく、実際にどの程度の効果があるかはわからないけれど、客と店員に安心感を与えることは確かで、それぞれが工夫をしているのだと思いました。

今日、また1軒、法事のキャンセルがありました。
出席するはずの家族が、大阪と東京に住んでいるのが理由だそうです。
一方、新たに法事の申し込みがありました。
ただし出席は、同居している家族だけにするそうです。
寺から歩いて来られる家なので、こういう家だから法事が可能だと言えます。
どこで線を引くかは難しいけれど、今は、120パーセントの安全を目指すくらいの気持ちを持ちたいと思います。

夕べ、次のようなことを考えました。
コロナウイルスは人から人へと感染すると言われているけれど、感染者は体のどこからウイルスを発散するのか。
また、ウイルスは体のどの部分から、人体に入り込むのか。
コロナの情報は飛び交っているけれど、これについての明確な情報は見当たりません。
手を洗うのが大切と言われていることも、このことに関係しているはずだから、感染経路を明確ににすれば、一層説得力が増すと思うのですが。

2020年4月12日(日)
・雨だと思っていたら、むしろ好天気になり、境内清掃には24人も集まってくれました。
銘々が散らばって作業したので、「三密」のどれにも当てはまらないので、これでよかったと思っています。
ただ、感染がこの地にも広まれば、そんな余裕もなくなります。
そうならないことを切に祈ります。

今日の法事は、遠方からの参加がなくなり、会食はお弁当を配って済ませました。
昨日も同じでしたが、時間の節約になって私としては、こちらの方がずっと好きです。
同じ思いの人もいるだろうから、この流れは、コロナが沈静化しても続くでしょう。
そしてその先に、新たな正しき展開が待っていることを願います。

2020年4月11日(土)
・今日の法事は、申し込み当初は40人が参加して寺で会食する予定だったけれど、コロナの影響で参加者を7人に縮小して、弁当を配るようにしました。
明日の法事は卒塔婆申し込みが13本なので、参加者は多いはずですが、会食の予定はありません。
今日、檀徒の訃報が入りました。
通夜式を行いますが、助六弁当を人数分(約15個)配って会食は避けることにしたそうです。

こんな状況では、法事にしろ葬儀にしろ、仏事での会食はもはや不可能です。
会食は、あっという間に、コロナに打ち勝つ戦いに必要不可欠な禁止事項になってしまったからです。
この戦いは、今日で終戦、と宣言できるようなものでなく、だらだらと切れ目なく続くことになるだろうから、会食が解禁されるとしてもずっと先になるはずです。
そのうちに人々の意識が変わり、別の常識が定着するだろうから、このことについてだけでも、それに対応出来るか出来ないかで葬儀業界の中でふるいがかけられることになると思います。
必ずしも、大きいところが生き残るとは限りません。
素早く、正しく対応できる者だけが生き延びます。
2020年4月10日(金)
・今日、眼の定期検診に行ってきました。
私は、マスクは小学生の時につけただけでしたが、さすがに今日は着用して出かけました。
医院スタッフに対する最低限のエチケットだと思ったからです。
院内には、視力検査と診察を含めて30分くらい滞在しましたが、その間に予約キャンセルらしき電話が3回もかかってきました。
帰りに国府津駅を降りたら、珍しくタクシーが3台も駅前で客待ちしていました。
この頃はタクシーを拾うのが大変だったので、様変わりを感じました。

これらのことでどのくらいの効果があるかはわからないけれど、確実に外出は減っています。
私も次に寺を出るのは、近所の薬局に薬を取りに行くときだけにし、葬儀がなければ、その次は病院に行くときで、それ以外は境内にとどまって仕事をすることにします。

今日、今月末に予定されていた法事の相談があったので、私の方から中止を勧めました。
法事こそ、この緊急事態の前では不要不急の用件と見なせるからです。
この状態が劇的に改善されなければ、今年の施餓鬼会も中止せざるを得ません。
明後日は境内清掃です。
これについては維持会の判断に任せますが、予報では雨なので、自動的に中止になるかもしれません。
そんなに神経質にならなくても、の考えもあるでしょうが、今は過敏くらいが丁度よいのです。
2020年4月9日(木)
・倶会の墓は、私が考え出した傑作の一つだと思っています。
ただ、応募者の立場に立てば、蓮台寺との確たる結びつきがないので、不安だと思います。
ロッカー式の墓のように、契約金を払い、年会費を払えば、いざとなれば、「檀徒」として確実に葬儀が行ってもらえますが、倶会の墓は契約金も管理料もないことが特徴なので、万が一の場合の保証が不確かなのです。
当然、「契約書」のようなものを考えてはいるのですが、もっと確実なものがあればと思案中でした。
そして今日思いついたのが「生前戒名」です。
これは今年度から檀徒向けに実施する新企画ですが、倶会の墓の希望者からも応募を受けて実施すれば、それによって寺との結びつきが確実に出来ると考えました。
もう少し煮詰めますが、いいアイディアを思いついたとほっとしています。

2020年4月8日(水)
・昨日の緊急事態宣言を、「生ぬるい」と批判する外国メディアがあるようです。
殆ど強制力がないからです。
ただ、日本は公衆トイレにトイレットペーパーが常備している唯一の国と聞いたことがあります。
我が国の民度が高い証拠です。
だとするならば、この生ぬるい施策でコロナを克服できたなら、日本の民度の高さは世界歴史に刻まれることになるでしょう。
そして、生ぬるさ故に、経済的ダメージも小さくて済むので、立ち直りも早いはずです。
とにかくこの一ヶ月を、銘々がじっと我慢することが肝要です。
これで上手くいったら、阿部総理大臣を皆で褒めてやりましょう。
2020年4月7日(火)
・緊急事態宣言は最後の切り札で、これで治まらなければ、国としてはもう手の打ちようがないといわれています。
ただ、宣言が出ようが出まいが、人と人との接触を極力抑えれば、感染を止めることが出来るので、最終的には人々の意識が問われることになります。
結局行き着くところは、精神論なのです。
もしこれで終息すれば、日本人の優秀さが証明されるけれど、私がそうならない可能性があると恐れるのは、現代日本の精神の弛みを感じるからです。

妻が、明日の読経会・踊り念仏の中止を決め、通信網に流しました。
中止しなくとも危険性は限りなくゼロに近いけれども、今は精神論に頼るしかないので、賢明な処置だと思います。
2020年4月6日(月)
・今日、葬儀事情に詳しい知人から「コロナの影響で、葬儀での飲食がどんどん簡素化されていて、それに慣れた人たちはコロナ騒ぎが治まっても元には戻さないだろうから、蓮台寺方式が定着するような気がします。」と言われました。

感染を恐れて、やむなく通夜振る舞いを省くようになっているそうで、この地の人たちには初体験のことだけれど、経験すれば、それは必要のないことが分かり、何よりも無駄なお金を使わなくて済むので、元に戻ることはないだろうというのが彼の考えです。

彼は、次の事例も話してくれました。
集団で飲食するのを避けて、通夜式に参列する人に300個の弁当を用意したけれど、150個が余って、ゴミになったそうです。
これを経験した遺族は、この地の習慣がいかに馬鹿馬鹿しいかを身にしみただろうから、今までとは考えが変わり、これが周りに広まっていくだろうから事態は確実に良き方向に向かうはずと私も思います。

2020年4月5日(日)
・まだ結果が出ていないので、良い悪いの評価は差し控えるべきとは思うけれど、もし日本のコロナ感染が欧米のようになってしまったら、日本の政治の無能さは歴史に残るものとなるでしょう。
既に良い例としては台湾などがあり、失敗例はそれ以上にたくさんあるのだから、そこから学ぶ機会はいくらでもあって、後出しじゃんけん出来たからです。

そこで思うのは、日本ではいち早く緊急対策を打ち出した北海道の成功です。
日本では圧倒的に多かった感染者の累計が、今では5番目になり、入院している感染者は10番目になっています。
これは、新たな感染者数を回復者数が上回っているからです。
これは、「全責任は私が負う。」と宣言した若き知事の功績だと思います。
「いずれは総理大臣」という評価もあるようですが、すでにこの時点で今の総理大臣を上回っているように私には思えます。
2020年4月4日(土)


・昨日、十二支を置く台が設置されました。
この動物たちは、10年前から、毎年1体ずつ、石工綱川誠志郎氏から寄進されたものです。
ウサギから始まったので、残りはウシとトラです。
台を支えているのは6人の力士たち。
その各々の表情も魅力的です。
他所では見られない風景なので、皆さん、楽しんで下さい。

もっといい写真が綱川氏のブログで見られます。
https://ameblo.jp/isc-hachi/



2020年4月3日(金)
・私は葬儀の時に、必ず経本を人数分作って参列者に配ります。
2日葬の場合は「通夜式経本」、1日葬の場合は「葬儀式経本」という題にしますが、中身は同じです。
この頃はこの経本の末尾に「蓮台寺の方針」の5項目を印刷し、これについて、2日葬の場合は通夜説法で、1日葬の場合は初7日忌の読経の後に説明します。

今日は1日葬だったので、本堂に帰ってから説明するつもりでいましたが、火葬場で参列者のひとりが近づいてきて、「これいいですね。」と最初の項目の「戒名一律、戒名に差をつけるのは仏教本来の姿ではありません」の部分を指して「これが本当の教えですよね。」と申されました。
寺の世話人をされているというので、今日経験されたことを経本を見せながら、周りに話して下さるだろうから、印刷したことは成功だったと思います。

そして、寺に帰った初7日忌読経の後に、1日葬にしたのは私が勧めたからだったこと、返礼品と食事の費用を抑えるのは蓮台寺の方針であることを強い口調で話しました。
解散後、施主夫妻から、「ああ言っていただいて助かりました。」と礼を言われましたが、やはり周囲に気を遣われていたのでしょう。

周りが悪すぎるから、「蓮台寺の普通」がさも悪いことのように受け取られかねないのが現実です。
これが遺族に跳ね返っては申し訳ないので、このことについてはこれからも強く申すつもりですし、遺族には、「何か言われたら、全部、寺のせいにしなさい。」と言い続けることにします。
2020年4月2日(木)
・今日の葬儀と明日の葬儀はともに1日葬ですが、両家とも、はじめからそれを望んでいたのではありません。
むしろ、通夜式は行わなければいけないと思っていたかもしれません。

それが1日葬に決まったのは、日程を決める際に私が、「通夜式を行った場合、通夜式と葬儀式のメンバーに違いがありますか。」と問いかけたところ、「同じです。」の答えだったので、「それなら通夜式をやるのはやめなさい。」と勧めたからです。

とはいうものの、私と同年配の喪主の奥様には一抹の不安があったのかもしれません。
列席者の中には、葬儀とはこうあるべきと思い込んでいる人がいたはずだからです。
しかし火葬場では、「皆さんがよい葬儀だったと言ってくれました。」とほっとされたようでした。
うぬぼれるつもりはないけれど、今の蓮台寺には、そういう評価が得られるだけの体制が出来上がっていると思っています。

嘗て湘和の社員から、「うちの社員は自分の会社で葬儀をやりたがらない。」と聞いたことがあります。
理由は葬儀費用が高額過ぎるからでした。

一方、今日のスタッフは、「私の両親の葬儀は倶会の葬儀にしたい。」と言っていました。
これはとても重要なことで、葬儀マンは、自分の家族にも行いたいという葬儀を常に心がけるべきなのです。

追記:
先ほど門松葬祭から今日の葬儀の明細が送信されてきました。
私は、3月31日のブログで、返礼品と食事代の合計を7万円と予想しましたが、実際は、
131,740円(返礼品30個、食事25人分)でした。
従って一切合切を含めた総費用は、
596,740円になりました。
2020年4月1日(水)
・昨日、私と同年配のご夫婦が寺を訪れました。
倶会の墓を希望されたのですが、覚悟のほどがわかったのは、30年前に契約した市営の久野霊園を解約し、湘和の互助会からの退会も済ませて来られたことでした。
「私たちには娘がいますが、嫁いでいるので、墓守に負担をかけさせたくありません。」
こういう理由ならば、倶会の墓はご夫婦の希望にぴったりです。
葬儀、納骨を済ませた後は、管理費などの負担は一切なく、お参りは自由に出来る墓だからです。
「倶会の墓」についてお知りになりたい方は、次をクリックして下さい。
http://sub.kyarakissen.com/kuemohaka.html

このご夫婦のように、若いときから墓地と葬儀について準備万端整えてきたような考えの方でさえ、今になって方針を大転換されたことに、私は時代の大きなうねりを感じます。
人々は、墓地や葬儀について、今までとは異なる新しい形態を求める様になっているのだと思います。
そのひとつが「倶会の墓」なのでしょうが、人々が固定観念の縛りから解き離たれ始めている今、それぞれに応じた方策を考えて差し上げるのが葬儀業に携わる私の務めと思っています。