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2017年12月31日(日)
・一晩考えた末、昨日寺を訪れた知人の希望はそのまま受け入れることにしました。
その代わりに、屋外用として赤外線ヒーター1台を今日注文しました。
効果を見定めて、必要なら追加するつもりです。
そして、仲間の葬儀社が必要な時には自由に使ってもらおうと思います。

昨日の入檀は今年の36軒目で、これで1月に3軒のペースは3年間続いたことになります。
入檀数が全てではないにしても、1つのバロメーターにはなるだろうから、20年前の最初の葬儀で「戒名一律」にしたことの回答は出たと思っています。

午前中、維持会の男性役員が今晩の準備に来てくれました。
平成の二祖像の内陣への移動をはじめとする本堂内の準備、境内では各所に照明を設置するなど、手際よく作業は進められました。
大大黒の不幸で今年は中止すると思った方もおられるようですが、皆さんの働きを見て大大黒は感謝し、喜んでいると思います。
だから、大晦日法要を立派に催す方が中止にするよりもよほど供養になります。

午後、今度は女性役員が甘酒の準備や配りものの袋詰めに来てくれました。
指揮する妻には、これが良いリハビリになっていると思います。

2年前に境内に墓地を取った女性が年末の挨拶にみえられました。
「周りはみんな、墓地は霊園にしろ、お寺は付き合いが面倒だから、と言っていたんですよ。でも私はここがいいって言い張ってね。」
その家に葬儀を頼まれてから墓地を契約するまでに1年近くかかったのには、そういう事情があったことを初めて知りました。
寺がそんな風に思われている中での入檀なので、心せねばならないと思います。

今年は、蓮台寺の葬儀事情が変わりました。
そのきっかけは4月8日の葬儀説明会です。
佐々木氏の話が良かったと、仲間の葬儀マンがほめたほどです。
それ以来、イヨダの葬儀数が増えて8件になりました。
私も大大黒の葬儀をイヨダに頼みました。
また、その全ての評判が良いので、来年はもっと増えるかもしれません。
心が伝われば支持が広がる良い例だと思います。
2017年12月30日(土)
・午後6時、知り合いが訪ねてきて、墓地を頼まれました。
暮れが押し詰まったこんな日の入檀希望は初めてですが、家族の容態が悪化したというのです。
私は、「墓地よりも葬儀の方が大事」と言って、蓮台寺方式を説明し、「この方式が嫌なら、葬儀も墓も受けません。」と言うと、「お任せします。」の応えでした。

その後、先方の希望もあって、本堂で葬儀をやる段取りを詰めたのですが、天気が悪い場合のことが頭をよぎりました。
そこで私は、真冬に本堂で葬儀を行うデメリットを伝えたのですが、それでも先方は本堂で葬儀を行うことへのこだわりを捨てませんでした。
安全を見込むのなら、会館使用の方が無難ですが、今回は私も迷い、「そのときの状況によって決めましょう。」と言うことになりました。

参列者数が少なければ、全員に本堂に上がってもらえば、寒さ対策は容易なのですが、多い場合が問題です。
先方も急なことなので、人数を考える余裕などない様子なので、少し冷静になってから判断してもらおうと思います。

以前は、暑かろうと寒さかろうと「本堂が一番」という思いで葬儀を行ってきましたが、先日のイヨダ会館の経験で、私も迷うようになりました。
2017年12月29日(金)
・今日、久しぶりにカインズホームセンターまで散歩を兼ねて買い物に行きました。
犬のおやつが底をついたからです。
散歩はいつも夕方ですが、母が亡くなった今、その時間にひとりにしたくないので、今日は初めて午前中にしました。

カインズホームセンターではめずらしい人に会いました。
今は現役を引退している、私が好ましく思っていた数少ない葬儀マンのおひとりです。
これから良識の葬儀に加わってくれる仲間には仕事が増えて人手不足になることが予想されるので、経験豊富な彼に手伝って欲しいと頼んだところ、今は気力も体力も無いと丁重に断られました。
「今は、歩くのがやっとだから。」と言われましたが、元気を回復してから再会したら、また頼んでみたいです。

ずいぶん長く葬儀を見てきた私ですが、施行するのに必要なスタッフについての知識を殆ど持っていません。
わかっているのは司会者がプロでなければならないことぐらいです。
そういう素人の私ですが、もし陰で支える仕事にプロでなくても出来るものがあれば、私なりの考えがあります。
それは、葬儀業に特化したシルバーセンターのようなものを組織することです。
ここから人材を派遣すれば、プロの数を最小限に抑えて葬儀ができると考えます。
良識の葬儀が掲げる旗には、共鳴者が多いので、半ばボランティアで人が集まってくれるはずです。
そうすれば、良識の葬儀社は社員を増やすことなく、増加する葬儀をこなせることになります。

具体案は皆さんと話し合わなければなりませんが、もし成算ありとなったら、組織作りには私が責任を持つつもりです。
2017年12月28日(木)
・今日の火葬場への私の移動は、大大黒の葬儀と同じグレーの搬送車を使い、運転手も同じ山崎氏でした。
前回で自信を持った佐々木氏が、敢えて「黒塗り霊柩車」を喪主に話さずに選んだ案と思われますが、違和感を口に出す人はひとりもいませんでした。
これがあと数回続けば、皆さんも慣れて(少なくとも蓮台寺では)、黒塗りにこだわることもなくなるでしょう。
これも改革の一つなので、佐々木氏に期待です。

葬儀が終わったあと、来月の17日に満中陰忌法要を予定している遺族が墓石建立の相談に訪れ、蓮台寺の定番の一つである小松石の自然石墓を希望したので、竹林石材の社長に連絡すると直ぐ来てくれたので、値段だけ決めてやって、以後は両者に任せることにしました。
直ぐに話はまとまり、採石場まで行って石を確認するという遺族の希望は叶うようです。
これは当初のスタイルで、最近は中間業者が入ってのお任せ注文だったけれど、これからは直接注文に戻そうと思います。

今日、山梨県に住む墓石に刻字する「現地彫り業者」に電話しました。
今までは、出入りの石屋を介していたけれど、これからは私が直接注文したいと申し入れました。
そうすれば、今までに払っていたであろう仲介手数料を現地彫り業者と注文檀徒で折半すれば、両者が得することになります。

暮れなので、私が葬儀に行っている間、来客がひっきりなしだったそうで、「昼食を食べる暇も無かった。」と妻は生き生きしていました。
夕方、蓮台寺ホールを閉めに行ったら、展示してある作品数がグンと増えていました。
「私が方々にお願いしたのよ。」と、ここでも生き生きしていました。
表面だけでもそうしていれば、いずれ中身もそうなります。

今日で今年の葬儀も法事もおしまいで、残った仕事は大晦日法要だけ。
明日一日で、紙燭制作などの準備は完了するので、30日と31日で、大大黒の葬儀の明細が公表できると思います。
そして、来年は、年頭から戦闘開始です。
2017年12月27日(水)
・今日の通夜説法では、妻に「言い過ぎ」と言われるくらいに、湘和攻撃をしてしまいました。
話すうちに、私自身も止まらなくなる自分を感じていました。
それだけ、怒りが私の中で醸成されていたのです。
でも、もう飾る気持ちなど毛頭もありません。
嘘で相手を貶めようとしているのではないので、聞き手の一割でも理解してくれれば上出来と思い、ガンガンやるつもりです。

大大黒の葬儀で作ったパンフレットが100部近く残ったので、「蓮台寺住職からのメッセージ、自由にお取りください」の張り紙をして受付に置いたら、通夜式後、「10部くらいしか残っていません」と佐々木氏に言われました。
私の毒舌によって、皆さんが関心を持ち、読むつもりがなかった人も読んでくれるでしょうから、「言い過ぎ」も思わぬ効果を上げるかもしれません。

ともかく、今日の説法で初めて湘和に疑問を持った人が数人はいるはずで、パンフレットも口コミ以上の効果を上げるだろうから、私が目指す「脱湘和」はまた一歩前進したはずです。
2017年12月26日(火)
・来年から、年始休業の店が増えるそうです。
いいことだと思います。
やっと、客(=儲け)よりも従業員の休息に眼が向いたのでしょう。

私はかねてより、葬儀社の24時間体制に疑問を持っています。
病院で人が亡くなると、真夜中でも葬儀社は遺体を引き取りにいきます。
これは病院の要請なのか、それとも葬儀社のサービスから始まったものなのか。
いずれにしても、葬儀に従事する人たちの健康を考えれば、そろそろ改めるべき時期に来ていると思います。

弔問に車を使う人が増えています。
会場が交通不便な場所ならともかく、駅から歩ける場所にあっても車です。
蓮台寺は、健康な人なら国府津駅から徒歩10分です。
小田葬の巡礼会館も同じくらいの距離、イヨダの英会館ならその半分です。
だから、普通に歩ける人は全員、徒歩でお悔やみに来てください。
おみ足の悪い方は、タクシーを使ってください。

私は大衆迎合が嫌いです。
だから、「私たちのために寺を変えてくれた。」とよく言われますが、それは違います。
今までのやり方では、私自身が納得できないので、自分のために変えただけです。
たまたまその方向が同じだったためにお礼を言われますが、本意はそんなところにありません。

今でこそ、蓮台寺の方針は多くに支持されていますが、当初は反対の人も少なからずいたはずです。
例えば、院号廃止、戒名一律を打ち出した時には、院号をありがたがっていた人たちには衝撃が走ったようです。
でも今は、院号などは何の意味も無いことがわかって、受け入れてくれています。
もし当時私が迎合するのであれば、全てに院号を付けるという選択もあり得たのですが、そうすれば事態はもっと悪くなっていたはずです。

私が無くそうとしている葬儀の過剰接待に対しては、若き葬儀マンの中にさえ、「遺族が希望すれば」と容認する者がいますが、これは彼らの迎合体質によるもので、時代遅れの間違いです。
私は葬儀マンこそ、僧侶以上の聖職者だと思っています。
そして、聖職者であるからには葬儀マンは、正しき旗を掲げ、人々が頑迷であればあるほど、その意識を変える努力をするべきと思います。
それが結果的には、その人達のためになるからです。
その意味で、若き葬儀マン達には、まだまだやるべきことが山ほどあります。
2017年12月25日(月)
・先日、自分だけが入る墓を求めて、ひとりの女性がやってきました。
娘さんが二人いるけれど、二人とも嫁いでいるので、墓は別に求めるだろうと言うことです。
それを聞いた私は、ロッカー式墓地を提案し、娘さんとよく相談するように勧めました。

その女性が今日訪ねてきて、「娘が、私が死んだら管理料はずっと払わなければならないのか、法事はやらなければいけないのか、を確認してきて欲しいと言っています。」と申されました。
これに対して、私は次のように答えました。
「管理料は墓地を使用している間だけ払えば良い。もしあなたが10年間を望めば、前払いすれば、娘さん達の負担はなくて済む。また法事をやるかやらないかは娘さんたちの自由です。」
「わかりました。明日来て契約します。」と言って帰られました。

この頃良く聞かれるのは、「法事にはいくら包めばいいのでしょうか。」です。
これに対し、私と妻は「決まりはないです。」を貫き通しています。
その理由に私は「額を低く決めると寺の経営が成り立たなくなるし、高く決めると払えない家が出てくるから。」と言い、「いずれにしても、気張る必要は無い。」と付け加えています。
でも、これでは檀徒のモヤモヤは解消するはずがありません。
こういう問題があるから、今日来た女性の娘さんが法事を心配するのでしょう。
やはりこの問題にも区切りを付ける時が来たように感じるので、年間の法事数と布施総額を調べ、計算式を作ろうと思います。
葬儀料の計算式も日本初と思いますが、法事のお布施について出来れば、更に画期的になるはずです。

今日、28日にイヨダ会館で葬儀を行う遺族が挨拶にみえられました。
既に見積もりは済んでいるはずなので金額を聞くと、「100万円ちょっとです。」の答えでした。
弔問客が200人を想定してのこの金額なので、湘和が実施するとは到底考えられない数字です。
25人の家族葬でも、150万円かけさせる葬儀社ですから。

今回も明細が確定したら、「良識の葬儀」のコーナーで公表するつもりです。
2017年12月24日(日)
・午後、イヨダの佐々木氏が葬儀日程表を持ってきてくれました。
葬儀場は喪主家の直ぐ近くの英会館でなく、もっと広い中里のイヨダ会館になりましたが、これは佐々木氏の提案で、その理由はなるべく多くの人に弔問に来てもらい遺族の負担を軽くするためだそうです。
こういう提案は、弔問客が増えるほど遺族の負担が増す葬儀を行う湘和とその亜流には絶対に出来ないことで、だからイヨダはこの地のリーダーになるべきなのです。

佐々木氏によれば、遺族はイヨダの葬儀をとてもよく知っていたそうです。
そういえば、亡くなられたご本人が、四月八日の葬儀説明会に出席していたので、佐々木氏の話を聞いて、そのとき氏が作った資料を元に家族に詳しく説明していたのでしょう。
これに意を強くして、また同じ頃、二回目を開くことで、佐々木氏と私の意見は一致しました。

大大黒の葬儀では、敢えて広く知らせなかったため、古くからの大事な檀家さんに伝わっていなかったことが昨日分かり、申し訳ないことをしたと悔やんでいます。
次に寺の葬儀となると、私の葬儀ですが、そのマニュアルを今から作成しておく必要を痛感しました。
まず私が思い付くのは、インターネット網を構築することです。
檀徒に呼びかけて、アドレスを登録してもらえば、その人達には正確な情報を瞬時に伝えることが出来ます。
今回はごく一部の人だけに伝え、口コミに頼ったため、伝え漏れがあったり、大事なことが伝わらなかったりしました。
このことを反省し、私の葬儀はどうすべきかの完全マニュアルを私自身が作っておき、万が一の場合はそれをインターネットで知らせば済むようにしておきたいと思います。
当然、私の作るマニュアルは従来のしきたりを破るものですが、遺言を盾に押し通せるので、檀徒の皆さんも安心して臨めると思います。
2017年12月23日(土)
・昼間、寺院への手紙を投函し、夕方、親戚と檀徒への案内状を書き終えました。
これで、満中陰忌に係わる今年度中の仕事は山を越しました。
明日、人数分印刷して投函すれば終了です。

午前中、今年最後の法事が終わったので、残りの一週間を大晦日法要の準備に集中できると思っていたら、19時過ぎに佐々木氏から訃報が入りました。
会場は英かイヨダ会館になる可能性が大きいので、大大黒がいなくなった今、妻に留守番してもらい私だけの読経になりそうです。
このように、大大黒がいなくなったダメージは大きいのです。

12月12日のブログの続報です。
法事に100万円を要求された檀徒は、やむなくアマゾンの派遣僧に読経を依頼したそうです。
仏教会は、このアマゾンの商売に、クレームを付けているようですが、仏教会がまずやるべきことは、このような身内のニセ坊主を退治することです。
それを行えば、アマゾンの商売など成り立つはずがありません。
こんな簡単な理屈がわからないから、またはわかっていてもわかる勇気を持たないから、仏教界は人々に見放され、衰退するのです。
2017年12月22日(金)
・新しいことを始めると、それが初体験なだけに、マニュアルがないので自分で作らなければならない苦労があります。
大大黒の葬儀は一檀徒としてやりましたが、満中陰忌法要は従来通り寺族としてやることにしたので、寺院への案内状を書くにも前例がないので、何度も何度も書き直しました。
そして今日、やっと妻のOKが出て、明日投函できるようになりました。
でも、まだ、親戚や檀徒への案内状が残っていて、気が抜けません。
明日は今年最後の法事があり、25日から始まる檀徒作品展と大晦日法要の準備もあるので、少々時間が足りない感じです。
でも、このブログを書いているのだから、余力はあるともいえます。

今日、葬儀の精算を行いました。
明細は公開するつもりですが、数日間は他の仕事で手一杯です。
そういう意味で、余力は無いといえます。
でも、妻はもっと大変で、あちこち飛び回っています。
飛び回るのが好きな人だから、どうにかなっているようですが、それでもオーバーワークのようで心配です。
今、家族をひとり失うことが、こんなにも大変なのかとつくづく思っています。
2017年12月21日(木)
・大学にいる頃、学会発表が仕事の一部でした。
自分の研究内容をコンパクトにまとめて予稿集に投稿し、本番で口頭発表するのが学会のスタイルです。
大学を辞し、蓮台寺に入った当初、このスタイルを教団活性化に生かせないかと考えたことがありました。
各寺院が行っている試みを、学会スタイルで発表し、討論するというやり方です。
ただしこれは、単なる思いつきで終わりました。

ところが、昨日山聖社長と話したあとに、これを良識の葬儀に適用する案が私の中に再浮上しました。
最初は葬儀マン達だけの発表会にしますが、発展して一般の人を交えての会になれば、大きなうねりになると思います。

4月8日に開いた葬儀説明会では、私を含めて4人が参加者70人の前で話をしました。
その拡大版と思えば、決して夢物語ではないと思います。
2017年12月20日(水)
・午後、山聖の社長が訪ねてくれました。
大大黒の葬儀の日に火葬場で会って、私から話し合いを依頼しました。
1時間以上話し合って、彼流の葬儀の一端を知ることが出来ました。
私が想像していた以上に、遺族の負担を少なくする配慮をしていることがわかりました。
湘和と対極の葬儀です。
彼のやり方を、私が期待する若き葬儀マンたちにも知ってもらいたいと思いました。

来年落ち着いたところで、仲間になってくれる葬儀マンたちに集まってもらい、山聖を交えて話し合う場を作ろうと思います。
それを元に、互いの良いところを採用し合えば、嘗て無い良質の葬儀が創出されると期待しています。
2017年12月19日(火)
・今日、次のようなことを思い付きました。
これから蓮台寺の檀徒になる人には、次のように言おうと思います。
「葬儀費用は、
最大で62.5万円用意しておけば十分です。」

62.5万円の内訳は、葬儀施行費50万円と、寺へのお布施12.5万円です。
葬儀には、このほかに返礼品代と飲食接待費がかかりますが、蓮台寺方式ではその両方を合わせた金額に対して半返しを実行するので、弔問客が増えるほど葬儀施行に対する遺族の負担は軽くなります。
また寺への布施に関しては、今後は畳半畳より広い墓地は提供しないので、新入檀の家に対しては12.5万円が最高額になります。

檀徒の多くが、葬儀にいくら用意しておけばよいか不安に思っているので、こういう明確な数字を出して安心してもらいます。
勿論、「弔問客が増えるほどお香典で負担が軽くなるので、全費用をお香典で賄える可能性もある。」と付け加えるので、更に安心してもらえるでしょう。

ところで非檀徒を対象にする場合、お布施については、寺院によって金額が異なり、無宗教を望む人もいるので、良識の葬儀が掲げるのは「
布施を除く葬儀費用の負担は最大で50万円、香典で全費用が賄えることもあり得る」とするつもりです。
これに対し、「小さなお葬式」をはじめとするネット葬儀は、葬儀施行費については明確な数字を示しているものの、返礼品と飲食についてはなにも触れていないので、返礼品代と飲食費の合計が香典を上回り、葬儀費用は葬儀施行費を上回る可能性もあります。
この点が、良識の葬儀とネット葬儀の大きな違いです。

なお、良識の葬儀の「葬儀費用最大値方式」が広まれば、ネット葬儀の中からも追随する動きが出て、この方式は更に拡大する可能性があります。
もしそうなれば、ネット葬儀の動機がなんであれ、助かる人は増えるのだから、それだけでも良識の葬儀を立ち上げた意味はあり喜ばしいことです。

ただ私は、いくらネット葬儀が追随しようとも、良識の葬儀の存在意義が無くなるとは露ほども思っていません。
葬儀社にとって一番大切なのは、遺族を思う心、遺族に寄り添う姿勢だからです。
私は、ネット葬儀を高く評価するけれど、最終的に葬儀を左右するのは、遺族に直に接する葬儀マンの心の有り様なので、これに関しては、私が現在想定している良識の葬儀を担ってくれるメンバーの志の高さを考えれば、ネット葬儀が良識の葬儀に追いつくことはとても難しいと思っています。

いずれにしても、良識の葬儀に賛同してくれる葬儀社がたくさん現れて、互いに助け合いながら上品で簡素な葬儀を行い、「これからの生活のために家族葬にしたい。」というような悲しい言葉が、西湘地区で聞かれなくなるようになれば、私の願いは叶います。
2017年12月18日(月)
・西湘地区でシェアがダントツの湘和が、心の底から支持されているかというと、全く「否」で、むしろ嫌われているとみるべきです。

理由を申しましょう。
この5年間、蓮台寺では、西湘地区檀徒の葬儀で湘和が占める割合は、なんと、0パーセントで、見向きもされていないからです。
蓼食う虫も好き好きといわれるように、数ある檀徒の中には、湘和を選ぶことがあってもよさそうなのに、全く無いというのは異常です。
この異常は、私が湘和を嫌っているのが影響していると言う人がいるかもしれませんが、それを公言する様になったのは今年になってからですし、私にはそれほどの影響力もありません。
やはり、檀徒自らが湘和を嫌っているというほかありません。
では、この嫌い方は、蓮台寺の檀徒に限ったことでしょうか。
そうであるはずがありません。
もしそうならば、蓮台寺の檀徒がこの地では異常な集団になってしまいます。
そうではなく、蓮台寺の檀徒以外でも、多くの人が湘和を嫌っているけれど、他に良い選択肢を知らないが故に、仕方なく湘和を選んでいるのが実態だといえます。
だから、葬儀社には湘和の亜流だけでなく、イヨダと小田葬のような葬儀社があることが世間に知れ渡れば、人々はあっという間に湘和を見限るはずです。
それがまさしく、今、蓮台寺に起こっているのです。
ただ、昨日も述べたように、今は受け皿が余りに小さいので、これを大きくするのが、良識の葬儀の緊急の課題で、もしこれに成功すれば、西湘地区の葬儀地図は一変し、人々の葬儀への怯えはなくなります。
2017年12月17日(日)
・私は、タウンニュースで面前調理を誇っている湘和の葬儀は下品だと思っています。
おまけに、葬儀費用はイヨダと市民葬祭の2倍もかかっています。
ただ、人によって趣味はいろいろなので、湘和の葬儀をよしとする人がいても、それは致し方ないことです。
しかし問題なのは、多くの人は葬儀業界の実態を知らず、タウンニュースで宣伝の行き届いた湘和を選んでしまっていることです。

例を挙げます。
今年の6月、母子家庭の娘さんが亡くなりました。
それを蓮台寺出入りの石屋から「お金がないので、助けてやって欲しい。」と依頼され、私は直ぐに動き、西湘霊柩に遺体を本堂に搬送してもらいました。
そして、葬儀はイヨダに依頼したところ、徹底的に費用を抑えてくれたので、香典で全費用が賄える結果となりました。
この明細は、このブログの「良識の葬儀:葬儀実績2」に載っています。

ところで、あとでわかったのですが、私に連絡が入る前に、すでに遺族は湘和に遺体安置を頼んでしまっていたのです。
理由を聞くと、「
葬儀社の名は湘和しか思い浮かばなかった。」が答えでした。
たまたま、別の要件で打ち合わせていた中で、娘さんの死を石屋に知らせたところ、機転の利くその石屋が即座に私に連絡してくれたのが不幸中の幸いで、間一髪で間に合い、「本当に助かりました。」の遺族の言葉になりました。

このとき私は、すでに良識の葬儀の構想を持っていて、最初のパンフレットをその日の2時間前に石屋に渡したばかりだったことと、そのパンフレットを石屋が直ぐに読んでくれていたという、全くの希有が重なってこういう結果になったのですが、通常はこうはならないはずです。

だから、西湘地区にも上品で簡素な葬儀を行う葬儀社があると知ってもらうことが大事なのですが、難点は、そういう葬儀社は圧倒的少数派なことです。
湘和以外にも、葬儀社は多数ありますが、私から見れば、殆どは湘和の亜流で、到底推薦するに足りません。
今私が自信を持って推薦できる葬儀社は、イヨダと市民葬祭ですが、この2社だけでは、湘和を嫌う人たちを賄うことは到底不可能です。
だから前々から私は、志を高く持つ若き葬儀マン達に新たな葬儀社を作り、イヨダと市民葬祭と連合して湘和に立ち向かうように言っていました。
私はハッパをかけるだけですが、当人達にとってはそのことはとても大変なことで、なかなか実現しませんでしたが、つい最近、勇気あるひとりが決断してくれ、一歩を踏み出すことになりました。
責任上、これから私は、その勇気ある決断が立派に実るまで、応援し続ける決意です。
今は詳細について書くことを控えますが、一月後には大宣伝できると思いますので、期待してください。
2017年12月16日(土)
・昨日の夕方、私が大事につき合っている男性から、親族の一人が熊野権現にすがるよりほかない重病であるとわかったので拝んで欲しいと電話がありました。
早速お札とお守りを作り、今朝一番で、熊野社で魂入れを行い、約束の時間に訪れた男性に手渡しました。
症状を聞くと、重度の癌だそうで、男性が慌てたのも無理からぬことです。

嘗て、腹水がたまり、2日に1回ずつ抜くという重度の癌患者が、私のご祈祷によってピタリと腹水が止まり、一時退院が許され、休職していた職場に自らの運転で出向くという奇跡が起こったことがあります。
今回は、そのことを知っての祈祷依頼ですが、効き目があるかどうかはわかりません。
効果をもたらすのは私でなく、あくまでも患者自身の力だからです。

最近私は、毎朝20人の健康祈願を行っています。
全員が重度の病気にかかっていますが、皆が安定を保っていることから、祈祷の効果は確実にあると思っています。
だから祈祷を続けるのですが、なぜ効果があるかの理由はわかりません。
ただはっきりしているのは、拝む私には特別な力など全く無いことです。
だから、効果をもたらすのは患者自身の力ということになるのですが、それ以上のことは不明です。
それでも、たくさんの効果を及ぼしてきた祈祷なので、今回も奇跡を起こしてくれることを念じながら、今日からひとり加わり、朝の祈祷が21人になりました。

ところで、私は今年の熊野権現祭で、新たに健康祈願の「お守り」を作りお札希望者に配りました。
お守りを作ったのは、携帯できるようにしたからです。
それが今日、思わぬ使われ方をしていることがわかりました。
「私は、頭が痛くなったらお守りを頭に当ててなで、肩が痛くなった時もなでると不思議に治るんですよ。私だけかもしれないけれど。」
という女性が現れました。
「それでは、家内にも教えてみます。」と言ってみたけれど、効かないとがっかりするので、まだ言い出せません。
2017年12月15日(金)
・昨日、新檀家の女性が訪ねてきて、義母の容体がおもわしくないので、万が一の場合は葬儀をして欲しいと頼まれました。
既に墓地は霊園に求めてあるというので、無理に檀徒にならなくても良いといって、葬儀を引き受けました。

その方の住まいは逗子市なので、葬儀場をどこにすれば良いか、逗子市には市営の火葬場があるのかなどを早速調べました。
その結果、私が最善と判断したのは、蓮台寺本堂で1日葬を行うという案で、先方に伝えました。

ところで、逗子市には市営の火葬場がないので、民営を使うか公営ならば他市を使わねばなりません。
普通こういう場合は、市から火葬料補助が出るのですが、いくら調べても逗子市にはその項目が見つかりません。
不思議に思って更に調べると、「国民健康保険葬祭費給付金制度」という項目にたどり着きました。
これは申請しないともらえなく、市町村によっては二週間以内という制限もあるので、これからは、葬儀のたびごとに遺族にこの情報を伝えたいと思います。
ちなみに、逗子市では、5万円の補助が出ることがわかりました。

ところで、この制度は小田原市にもあるので、大大黒がこれに当てはまれば、5万円が給付されることになります。
今回の葬儀は、1檀徒として行い、返礼品と飲食の費用は蓮台寺方式に従い、檀徒に見本を見せたつもりですが、更に「国民健康保険葬祭費給付金制度」についても見本を見せたいと思います。

追:先ほど、このことを伝えようと、先日葬儀を行った家に電話したら、「昨日、手続きを済ましてきました。」の返事。
どうやら、「知らぬは住職ばかりなり」で安心しました。
2017年12月14日(木)
・通夜式のあと、参列した住職に「慈一遊筆」について「4文字法名は初めてですか。」と聞かれました。
そうではなく4文字法名は過去に12人いて、私自身の葬儀用の位牌も既に作ってあり、そこには「岳阿晃」と記されています。
その理由と将来の蓮台寺の法名について、15年前にこのホームページに掲載したことがあります。
今は整理して、お蔵入りになっていますが、これを機会に再登場させることにしました。
15年前と今では、私の考えは全く同じではなく、もっと過激になっていますが、基本は変わっていませんので、興味ある方はご覧になってください。
理科系の私の文章は、理屈っぽくて少々読みづらいかもしれませんが、「戒名の将来」はわかりやすく書いてあるので、これだけでも読んでいただければと思います。
2017年12月13日(水)
・今朝、蓮鉢の1つに氷が張っていました。
おそらく、境内における今年の初氷です。

明日配布される神静民報に、良識の葬儀の電話番号が載ります。
        0465-87-5722
でもこの番号にかけても、うまく応答するかわかりません。
調子の悪い電話機がつながっているからです。
だから、慌ててヨドバシカメラに電話機を注文しました。
明日中に届くというので、危うくセーフです。

大大黒の葬儀に点数を付けるとすれば、80点くらいでしょうか。
ともかく、初体験のことなので、どうすれば良いか迷ったことがありました。
最も大きい点は、寺院の扱いでした。
今までの例からすれば、教区寺院、親戚寺院、他宗の近隣寺院に来てもらうのが普通ですが、今回の出席は、案内を出した教区の3寺院だけでした。
でもこの中途半端さが20点減点の原因となりました。
式は蓮台寺の定番である私と妻とむらさきの会が中心となって進められたのですが、いくらプロとはいえ、それに慣れていない寺院の読経は雑音のように聞こえたからです。
これも経験したからわかったことなので、これからの良い教訓となりました。

葬儀をイヨダに依頼したのは大正解で、亡くなってから昨日までの一週間、何一つトラブることなく大大黒を送ることが出来ました。
さすがです。
だからこれからは、安心して檀徒にイヨダを薦めることが出来ます。
檀徒の皆さんの協力も大変なもので、維持会が中心になって数十人がそれぞれの役割を見事に果たしてくれました。
「皆さん、心のこもった葬儀をありがとうございました。」妻共々、御礼申し上げます。

だから、「お疲れでしょう、」とたくさんの人に言われますが、おかげさまで今の私には、このブログを書けるくらい余力が残っています。
2017年12月12日(火)
・昨晩の通夜の参列者から嫌な話を聞きました。
市内の寺の住職が法事のお布施として、100万円を要求したそうです。
困った檀徒は本山に善処を要求したのですが、本山は取り合わなかったそうです。
事の真偽を確かめるため、その話を伝えた人に、被害者の檀徒に会いたいと申し入れました。
それが実現するまでは真偽は不明だけれど、あり得ることと思えてしまうところが、今の仏教界の悲しい現実です。

もう一人の参列者から、「お経中の飲食なんて、坊さんが禁止すれば簡単に止められるじゃないですか。」といわれました。
確かに正しすぎるくらい正しい正論です。
彼は暗に、私が僧侶を説得することを期待する口ぶりでしたが、一方で、そうしても効果のないことがわかっている風でした。
これに対し、私はこういう趣旨を述べました。
「私は通夜読経中の飲食を、住職になって直ぐに禁止した。それは自分の読経を邪魔したからだ。にわか坊主の私でも、自分の仕事にそれくらいのプライドを持っていた。しかしそのことに気づかない僧侶は、にわか坊主以下の偽坊主なので、説得しても全く無駄だ。だから次善の策として、良識の葬儀を立ち上げた。この活動を続けていけば、ひょっとすると偽物が本物に変わる奇跡が起こるかもしれない。」
逃げ口上であることはわかっているけれど、僧侶の現状は、私の能力を超えた病み具合です。
2017年12月11日(月)
・今日、大大黒の通夜式を行いました。
戒名は「慈一遊筆」。
多分、時宗教団で、大大黒にこういうシンプルな戒名を付けた例はないと思います。
だから、批判を覚悟のことでしたが、帰りがけに「いい戒名でしたね。私の目指すところです。」と教区寺院の一人から言われた時には、明るい未来を感じ、久しぶりに嬉しい気持ちになりました。
2017年12月10日(日)
・「旅衣 木の根茅の根 いづくにか 身の捨てられぬ ところあるべき」は一遍上人が詠まれた歌です。
これに、作曲家服部公一氏が曲を付けたのが、時宗の宗歌になっています。
明日の通夜式の冒頭に、この宗歌を歌います。
歌うのは、妻が主催する踊り念仏の会の10人のメンバー。
月1回の例会で、必ず歌っているというので、出演を依頼しました。
この歌を依頼した理由は、蓮台寺に初めて建った歌碑がこの歌で、原稿は大大黒が書いたからです。
この歌を通夜式で歌うのは、蓮台寺にとっては初めてのことで、おそらく時宗教団の他寺でも例はないと思います。
昨日、メンバーが集まって、リハーサルを行いました。
こういう式が出来るのも、他寺に任せるのでなく、私と妻が導師と調声を務めるからです。
メンバー全員が気持ちを込めて練習していたので、明日は期待できます。
2017年12月9日(土)
・今日、13回忌法要がありました。
施主の話では、12年前の葬儀は湘和のカルチャーボンズでやったけれど、費用がかかりすぎたので、もう一口入っていた互助会を解約したそうです。
当然のことながら私は「それは正解でした。」とフォローし、「互助会に入ると却って損すると蓮台寺の住職が言っていたと広めてください。」と付け加えました。
これをきっかけに他の参列者からも、「別の葬儀社でも家族葬なのに、140万円もかかった。」などと、一頻り葬儀の話で持ちきりになりました。
これはとてもいいことで、こういう形で葬儀情報が広まれば、よりよい葬儀社選びが出来るようになり、ダメ葬儀社を駆逐できます。
大大黒の葬儀では、秋の彼岸に配布したのとほぼ同じパンフレットを300部作り、参列者に持ち帰ってもらいます。
ここには、イヨダと湘和の費用比較が載っているので、少なくとも国府津地区には大きな影響が出ることが期待できます。
2017年12月8日(金)
・大大黒(前住職の奥さん、妻の母)が亡くなり、葬儀をすることになりました。
普通、寺族の葬儀は、読経を他寺に任せて、自分たちは読経に加わらないものだけれど、今回は故人の生前からの希望なので、導師を私が、調声を妻が務めることにしました。
要するに、一般檀徒の葬儀と同じようにするという、今の蓮台寺にとっては、ごく当たり前の選択です。
戒名も、院号と善大姉を省く4文字、お墓も、私と妻のために契約した家族墓になります。
担当するのはイヨダで、現在の蓮台寺にとってはベストな葬儀社です。
寺族の葬儀という制約がありますが、できる限り、蓮台寺方式に沿ったものにするつもりです。
そのことを良く理解している佐々木氏が、良い案を次々に出してくれているのがありがたいです。
特によかったのは、彼の案で、火葬場への車は、山崎氏が運転し、妻と、私が同乗することになったことです。
妻は「4人で一緒に行こうね。」と喜んでいます。
2年前、大大黒が転んで仰向けになり、自力で起き上がれなくなったとき、老老介護の我々にはどうすることも出来ずに山崎氏に電話したら、「30分待ってください。」と言って、仕事を中断して藤沢から駆けつけてくれたことがありました。
妻はその時のことを、忘れずにいるのです。
勿論、車の色は黒でなく、普通の搬送車だけれど、4人一緒の方が妻は嬉しいのです。
2017年12月5日(火)
・最近知ったことですが、人々には、火葬場への遺体搬送車は黒塗りでなければいけないという拘りがあるようです。
それを知ったきっかけは、西湘霊柩代表の山崎氏から、そのための新車を購入する計画があると聞いたからです。
そういえば、病院からの遺体搬送車はグレーっぽい色で、火葬場へ向かういわゆる霊柩車は殆どが黒です。
ただ私は2回茶色の霊柩車を経験しています。
藤沢で行われた葬儀で、そのときに使われたのは大型の外車で記憶に間違いがなければベンツでした。
確かに私もそのときは、初めての黒でない霊柩車に「おやっ」と思いました。

そこで山崎氏に、霊柩車の色について質問したところ、火葬場への車はグレーっぽい遺体搬送車で全く問題ないが、遺族に黒への拘りが根強くて今の手持ちの車では対応できない、という答えでした。
そして今日、そのような傾向があることを思い知りました。
私が依頼した2つの葬儀で担当者が、節約のために黒塗りでない搬送車使用を提案したところ、両方が使用料が高い黒塗りを希望したそうです。
それで、藤沢での茶色の霊柩車の意味がわかりました。
こちらは黒でなくても、国産車を上回る高級外車だから遺族は満足したのです。

ところで、10月26日の1日葬では、私が喪主と乗ったのは山崎氏が運転するグレーっぽい搬送車でした。
このときの葬儀担当者はイヨダの佐々木氏。
そのとき私は、ごく当たり前のように乗っていたけれど、今思えば、それは異例なことで、これは遺族の負担を軽くする配慮だったのです。
だから今、あっぱれ佐々木、そして、あっぱれ山崎と褒めてやりたいです。
2017年12月4日(月)
・今朝、2人の方が亡くなりました。
両方とも本堂での葬儀となりますが、それぞれが今後の蓮台寺及び小田原地区の葬儀に少なからずの影響を与えることになりそうです。
ただしその内容は、全てが終わってから書くことにします。

明日の午前中に良識の葬儀の固定電話が設置されます。
そして今月半ばには、その番号を知らせるミニ広告が神静民報に掲載されます。
これによっても、なにがしかの良き影響が出ると期待しています。
2017年12月3日(日)
・群馬の人に送るために、次のような文を書いてみました。まだ書きかけですけど。

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葬儀費用を抑える方法

私は今年75才になったが、今までに葬儀の喪主を務めたのは、父の時と母の時と前住職の時の3度だけである。
また統計によれば、一家族に葬儀が発生するのは、平均的には20年に1度しかない。
だから、いざ葬儀という一大事に直面した時、人は経験がないので、うろたえて葬儀社の言いなりになり、多額の出費に後悔することになる。
悪いことに、その高額葬儀が噂となって広まり、葬儀に怯える人さえ出る始末である。
しかし、本当に葬儀は怯えの対象だろうか。
私の答えは、否である。
高額葬儀は、葬儀業界一部の営利優先姿勢によるものだから、そのような葬儀社を拒否して正常な葬儀社を選びさえすれば、遺族の負担は限りなくゼロに出来る。
つぎに、その方法を説明する。
まず、葬儀費用は次の3つに分けられる。
➀ 葬儀施行費
➁ 飲食代
➂ 返礼品代
➀については、葬儀社によって2倍以上の差があることを、殆どの人は知らないだろう。
これは、西湘地区の実態調査によってわかったことで、だから負担を小さくするには葬儀社選びが最重要課題となる。
しかし多くの人は、正確な情報を知らないまま間違った葬儀社選びをしているのが実状である。
例えば、互助会加入である。
加入する人は負担が軽くなると思って加入しているはずだが、実は互助会制度を持つ葬儀社ほど葬儀施行費が高額で、互助会特典があっても、施行費が半分で済む良心的な葬儀社に比べると決して得にはならず、却って損の元になっていることが判明している。
では、そういう良心的な葬儀社を選ぶにはどうすればよいか。
まず、蓮台寺檀徒の場合は、寺に相談すれば、その時点で一番よい葬儀社を推薦するので全く心配ない。
次に、非檀徒の西湘地区住民の場合であるが、これは良識の葬儀に相談すればよい。
しかし、それ以外の地区の人は、自分で葬儀社を探すしかない。
但し今は、いくつかの「ネット葬儀」があるので、それを手がかりにすることが出来る。
例えば、ネット葬儀最大手の「小さなお葬式」である。
この組織が急成長したのには、それだけの理由があるはずで、これを通じて葬儀社を探すのがよいと思う。
この組織は、多くの葬儀社が加盟している全国組織だから、どこに住んでいても、必ず該当する葬儀社を探すことが出来るはずだ。
ただその場合でも、一社に絞らず、数社を候補として確保するのが望ましい。

候補葬儀社を選んだら、次は➁と➂である。
昔から、「葬儀には半返し」という言葉がある。
これは、遺族の負担を軽減するために先人が育ててきた智慧であり、文化でもある。
この精神が生きていた30年前は、殆どの葬儀は、香典で葬儀費用が賄えていたので、葬儀に怯えるなどと言う馬鹿げたことはあり得なかった。
しかし今は、➁と➂を合わせると香典を上回る「余分返し」が常態化している。
その原因は、葬儀社の営利優先の姿勢で、せっかくの文化も破壊されてしまっている。このため、弔問客が増えるほど遺族の負担が増すので、遺族は一般弔問客を拒否して家族葬に逃げ込むようになっている。
ただし、この問題は葬儀社だけの責任でなく、遺族側にも責任がある。
それは、遺族側の見栄である。
「皆さんがこうしています。」の葬儀担当者の口車に乗り、半返し文化の破壊に同意してしまう心の弱さである。
ただ、②と➂についての最終決定権は、遺族にあるのだから、ゼロにすることさえ出来ることを肝に銘ずべきだ。
実際、葬儀社の用意した忌中払いのメニューを断って自ら仕出し業者に火葬場弁当を注文した遺族を私は知っている。
返礼品にしても、これ以下の品物がないと葬儀社が言えば、とりあえずは返礼品なしに葬儀を行い、後日、自分で用意して送る方法だってある。
とにかく、強い意志を示せば、葬儀社を屈服させることが出来る。
そもそも、半返しを知らない葬儀社は偽物と思えば良いのだ。
以上の覚悟を持って臨めば、葬儀に怯えることは絶対にない。


2017年12月2日(土)
・昨日の火葬式葬儀については、火葬場で喪主から詳しい話を聞くことが出来ました。
亡くなった68才の男性は生涯独身で、この数年は病気療養中のため、兄弟姉妹が経済的援助をしていたそうです。
そしてこの1月末、症状が重篤になったため、葬儀の相談をしに兄弟姉妹がそろって蓮台寺を訪れ、そのときにたまたま寺に来ていた小田葬のスタッフを紹介され、一阿の墓への納骨を決めたということです。

そして10ヶ月後、男性が亡くなったので、寺でなく、まず、小田葬に連絡しました。
結果的にはそれがよく、スタッフの配慮で、一番負担の少ない形に決めてから私への連絡となりました。

親族がいても、葬儀はおろか、遺骨の引き取りも拒否されるケースが多い昨今、納骨まで、12人が見届けた昨日の葬儀は印象深いものがありました。

ちなみに、秦野の病院から巡礼会館まで遺体を搬送し、一阿の墓へ納骨するまでの、寺への布施を含めた全費用は25万円程度に納まったはずです。
皆さん、とても感謝していたので、葬儀社を選ぶことの大切さを十分に理解していただけたと思います。

今日の法事で、私の持論を話したら、群馬に住む女性から、話しかけられました。
「今までに、2つのお葬式を出しましたが、とても不満です。どうしたらいいでしょう。」
咄嗟には、答えられるはずもなかったのですが、当地では通夜読経中の飲食をしないことがわかったので「周りを気にせずに返礼品は半返しにしなさい。」と申しておきました。
こうすれば、弔問客が増えても、赤字になることはありません。
問題は「葬儀施行費」ですが、これは「小さなお葬式」に頼めば、解決するかもしれません。
ただ話しかけられた時は、そこまで思い付かなかったので、あとで群馬のことを調べて手紙を差し上げようと思います。
2017年12月1日(金)
・今日は、小田葬・黒野氏運転の霊柩車で棺とともに平塚火葬場に向かい、遺族は現地に集合するという、いわゆる火葬式葬儀を行いました。
ただし、普通の火葬式と違うのは、その後参列者12人全員が蓮台寺に戻り、戒名授与式を行ってから一阿の墓へ納骨したことです。

今までの一阿の墓への納骨は、全て普通に葬儀を行った後に行ってきたので、今回は初めてのケースになります。
こうなったのには、私が納得できる、しかるべき事情があったので、これからの葬儀に対して幅が広がるよい体験だったと考えています。

運転中に黒野氏から興味ある話を聞きました。
最近氏が取り扱った葬儀の親族に、川崎で葬儀社を経営する人がいたそうです。
その人が驚いたのは、小田原では、通夜式最中に飲食のもてなしがされていることでした。
「そんなことしたら、通夜式が成り立たない。」
葬儀社の人がそう言うからには、川崎では、そういう習慣はないのでしょう。
「やはりこれは、小田原に特有な風習なのですかね。」と、黒野氏。
私は、「やっぱり、良識の葬儀は頑張らなきゃいけない。」と思いました。
そして考えた標語

「通夜中に 生寿司握るを 誇るとは
 葬儀マンたる 魂いずこ」

当然、このターゲットは湘和です。
ついでに 一句

「魂の 抜けた葬儀は 偽物ぞ」