蓮祐雑感

はじめに
 離檀料
 過剰葬儀お断り
境内墓地変え
マージン
にわか 
 




はじめに 
 
蓮祐とは、互いに祐(たす)け合って
極楽往生を目指すお念仏仲間のことです


私はこの言葉を蓮台寺に帰った翌年から、大晦日法要で参加者に授与する紙燭の名に使いました。

その後、檀徒の作品を集めた小冊子にもこの名を用いました。

蓮台寺には無縁者用のゆうの墓があります。
この「ゆう」は蓮祐の佑(ゆう)から取りました。

だから蓮祐は、私の中では、今の蓮台寺を最も良く表す言葉になっています。

それ故、この名を冠して思いを綴ります。









離檀料
2021年11月4日(木)
・テレビ時代劇にこういう話がありました。
江戸の大火災で家族と家を失った少年が、生きるためにスリ集団に入りましたが、数年後に初恋の少女に会って堅気になる決心をします。
しかし、スリ集団から足を洗うには高額の「足抜け料」を納めねばならずそのために苦労するというストーリーです。

酷い話のように見えますが、スリ集団の立場に立てば、行き場を失った少年を拾って生活の面倒を見てきた見返りとしての当然の要求となるのでしょう。
スリ集団にも3分の理有り、ということです。

これと関連して連想するのが離檀料です。
果たしてこれには3分の理はあるのでしょうか。
一番良いのは、蓮台寺の檀徒が離檀を申し出た場合、寺として離檀料を要求する根拠があるかを熟慮してみることです。
だから熟慮してみましたが、全く根拠は見つかりませんでした。
従って、離檀料はスリ集団の足抜け料にも劣る1分の理さえない愚劣な寺による愚劣な要求と言うのが私の結論です。

蓮台寺には他寺から墓換えした家が6軒ありますが、いずれも離檀料は要求されなかったようです。
だから離檀料を要求するのはごく一部なのかも知れませんが、そういう寺の存在が仏教界を危機に陥れているのです。

つい最近妻が、近くの寺の檀徒が100万円単位の離檀料を要求されたという話を聞いてきました。
妻の耳に届くくらいなので、この話は広まっているはずで、このことで寺は怖いところだと思われ、寺離れを助長する一因になっているのだと思います。

これについて私ができることはただひとつ、そういう檀徒が相談に来たら、無条件で檀徒として受け入れ、その寺と戦うことです。
私は滅多にけんかはしませんが、やれば必ず勝ってきましたので、1分の理もない相手とのけんかは楽勝です。

過剰葬儀お断り
2021年10月20日(水)
・2年前、見知らぬ人から電話で葬儀を頼まれました。
「知り合いの葬儀に参加して、是非お願いしたいと思いました。」
檀徒でなくともこういう場合、葬儀を断ったことが無かったのですが、担当する葬儀社の名を聞いて、「その葬儀社とは仕事をしたくありません。」と断りました。

その葬儀社は、やたらにエンバーミングを勧めていると聞いたばかりだったからです。
エンバーミングとは、遺体から血を抜いて特殊な液体に置き換える処置で、南北戦争の時に遺体保全のために始まったと言われています。
しかしながら日本では、亡くなってから数日で火葬するので、通常の葬儀では、その必要は全くありません。
事実、今までに蓮台寺で行われた葬儀では、エンバーミングが必要な事例は1件もありませんでした。

だから結局、エンバーミングは不必要な営利目的以外の何物でも無いのです。
しかし家族の死で頭が真っ白な遺族は、担当葬儀マンの口車に乗せられて、高額な処置を依頼してしまうケースが多いと聞きました。
実に汚いやり方だと思います。
だから私はこの葬儀社に「ノー」を突きつけました。
境内墓地変え
2021年10月13日(水
・ロッカー式墓地が出来て以来、境内の旧墓地からロッカー式墓地に移る家が出てきました。
いくつかのパターンがあるので紹介します。
1.広さ2坪の墓地から移りました。
 跡地には4基の家族墓を新設して全部が契約済みになっています。
ロッカー式の契約料を含めて、費用は全額寺が負担しました。
2.4軒の家が、カロート付の未使用の墓地から移りました。
 これらの家には永代使用料を全額返却し、改めて、ロッカー式墓地の契約料を戴きました。
なお、元の未使用の墓地は4基とも新たに契約されました。
3.昨年新設されたロッカー式墓地、蓮祐の墓ⅤとⅥは、旧墓地を更地にして建てられました。
元の家は、それぞれ、跡地に建てられたロッカー式墓地に移りました。
4.今年になって、戦前からの檀家である2軒が古い墓地からロッカー式に移りました。
ロッカー式墓地の契約料は戴きましたが、墓終いの費用は寺が全額負担することにし、跡地は花壇にします。
ここに墓地を新設しても、契約者が現れる時代ではなくなったと判断しました。

これからは、後継者問題などで4のケースが増えてくると思われます。
その場合は、同様の処理をしますので、該当する家はご安心ください。
マージン  
2021年10月12日(火
・住職になりたての頃、葬儀社とケータリング業者から、マージンを払うからお客を紹介して欲しいとの申し出があり驚きました。
そんなことをするくらいなら、客のために値下げしてやればよいのにと思ったのは、にわか坊主の素人考えで、この世界ではこれが常態化していることを後で知りました。
ともかく、こういうことは私にはなじまないので全てを断り、以後この種の申し出を一切断るとともに、それとは逆に、檀徒にとってよりよい業者を探して紹介するようにしてきました。

しかしながら最初の頃は、「寺に頼むと却って高くつく」というのが浸透していたらしく自分で業者を決めることが殆どでした。
その人達は寺と業者の間のマージンを知っていたからです。
蓮台寺はそうでないと分かってもらうには、時間がかかりましたが、今では葬儀や墓石のことなど、ほぼ全ての檀徒が私に任せるようになっています。

マージンを廃したことは、特定の業者との結びつきがないことで、その時々で一番良い業者を選べるメリットがあります。
葬儀社を例に取ると、嘗てはイヨダ、湘和、小田原市民葬祭と組んで多くの葬儀を行った時期がありますが、今の蓮台寺にとってふさわしい葬儀社は門松葬祭と髙月想送で、今年の檀徒の葬儀20件はこの2社だけで行っています。
ただし、2社には「もっと良い葬儀社が現れれば、そちらに替える。」と言ってあります。
これが、マージンを廃した蓮台寺の強みです。

昨年末の本堂葬儀から、返礼品と供花は、遺族が直接業者から購入することに改めました。
結果的に、葬儀社と業者とのマージンを無くしたので遺族の負担が軽くなりました。
これをシステム化したのは、おそらく西湘地区では蓮台寺葬儀が初めてだと思います。
これは、仮に私が葬儀マンだったら、とっくに実行していた事案で、そうすることによって経営が難しくなれば、代わりにもっと真っ当な方法を考えるのが葬儀の王道だと思います。
にわか
2021/10/11
・住職になった頃、ベテランの法衣商から「にわか坊主」と言われました。
「なりたての未熟坊主」ということです。
ずいぶんきついことを言うなと思いましたが、事実なので受け入れました。

今にして思えば、私がにわか坊主であったからこそ、そして今でも「にわか」だからこそ、蓮台寺を他寺には決して真似の出来ない寺に変えることが出来たのだと思います。
もし私が在家出身でなく、寺に生まれ育っていれば、それ以外の経歴は全く同じでも、にわか坊主とは言われなかったでしょう。
しかし、「にわか」であるが故に、従来とは異なる視点で寺を運営し、寺離れが進む現在にあって、それには無縁でいられるのだと思います。

最近、この「にわか」は、葬儀マンにも当てはまると思っています。
今、葬儀の縮小化が進んでいますが、その実態は「葬儀社離れ」だと思います。
寺の場合、寺に代われる方策があるので寺離れが可能ですが、葬儀社の場合、今のところ、葬儀は葬儀社の手助けが必要なので、依頼件数は減らないけれど、葬儀の縮小化は葬儀社が「ノー」を突きつけられているからだと思います。

葬儀マン当人達は、旧態依然たるにどっぷり浸かっていて気がつかないのだろうけれど、私から見れば今の葬儀社にはダメな点が多々あります。
このままでは「葬儀社離れ」と言うよりも、「葬儀離れ」が進んでいってしまいます。
それは人々にとっても不幸です。
なんとしても、葬儀を「儀式」として遺しておきたい、というのが私の願いです。
それには、「にわか葬儀マン」が多数現れることが必要不可欠だと私は思っています。