良識の葬儀

過剰負担の葬儀を捨て、本来の葬儀を取り戻そう

平成28年暮れ、「今の葬儀は病んでいる」と痛感する出来事がありました。
非檀家の49才の男性が亡くなり、葬儀を頼まれました。
喪主の奥さんの希望は「出席者25人の家族葬にしたい。」ということでした。
理由を尋ねると「今の葬儀は、たくさん人が来るほど、赤字になると聞いています。これから私は3人の子供と生きていかなければならないので、葬儀にお金をかける余裕などありません。」と答えました。
今までも家族葬を望む家は少なからずありましたが、こういう明確な理由を挙げたのは初めてです。
改めて考えれば、西湘地区の葬儀では、通夜式の最中に一般参列者に飲食の振る舞いをし、返礼品と合わせれば香典を越える出費になってしまいます。
「でも、蓮台寺では通夜式中の飲食は禁止しているので、赤字になることは絶対にありません。ご主人はお若いので、お悔やみを希望する方は多いでしょうから普通に葬儀をやりなさい。」という私の説得で、方針転換した結果、通夜式の弔問客は300名を越え葬儀スタッフを慌てさせたほどでした。
それだけ、若き死を悼む人は多かったのです。
この人達のためにも家族葬にしなくて本当に良かった、というのが遺族をはじめこの葬儀に係わったスタッフ一同の感想です。

少し前までは「葬儀には半返し」という原則が生きていて、弔問客が増えるほど遺族の負担が軽くなるという良き慣習がありました。
これが香典の真の姿、本来の葬儀の在り方です。
ところが最近では香典額を超える「余分返し」が常態化していて、遺族の中には負担を避けるために仕方なく「家族葬」を選ぶ場合が出ています。
本来葬儀とは、縁ある人が亡き人を弔うためにおこなうものなのに、その多くが出席できないというのは悲しむべきことです。
その上家族葬の場合、他からの香典収入がないので葬儀費用は全て親族で賄わなければなりません。
「半返し」を実践すれば、香典で遺族の負担を軽減できるのに、その道を閉ざしているのも「余分返し」の弊害です。

実態調査をおこなった結果、私は、この弊害をもたらしている一番の責任は、この地区で最大のシェアを持つ葬儀社にあると考えます。
彼らは「半返し」どころか「余分返し」を常態化しており、彼らのシェアが圧倒的に大きいだけにそれがこの地区の標準スタイルになっているからです。
更に彼らは、過度なおもてなし(例えば、目の前で寿司を握ったりするなど)で葬儀をパーティー化するまでにエスカレートさせています。
これは葬儀を生業(なりわい)とする者が自らの手で厳粛であるべき葬儀を破壊しているという意味で愚行の極みです。
この無惨な状況を正常に戻すには、我々が「余分返し」の葬儀社を排除し、「半返し」を実践する、本来あるべき姿の葬儀社を選んで伸ばしていくしかありません。

幸い今の蓮台寺では、遺族に寄り添う心を持つ葬儀社の協力で「蓮台寺方式」が確立していて、家族葬でなく普通に葬儀を行えば、香典で葬儀費用が殆ど賄えるようになっています。
この方式は、まともな葬儀社さえ選べば、蓮台寺の檀徒に限らず、どなたにも実施可能です。
しかし世間には、他に良い選択肢があることを知らないがために、宣伝で名の通ったダメ葬儀社を選んでしまい、結果的に泣く人が多数出ています。
「もう2度とあの葬儀社には頼まない。」と言っても手遅れです。
こういう人を少しでも減らすために「良識の葬儀」という名の組織を作ることを思いつきました。
「良識の葬儀」は、まずは、蓮台寺住職が個人で運営しますが、いずれは、高い志の葬儀マンたちに引き継いでもらうもので、過剰負担の葬儀社以外にも立派な選択肢があることを西湘地区に広く伝え、檀徒非檀徒を問わず、信頼する葬儀社(本来あるべき良識の葬儀を行い、且つ費用がダメ葬儀社の半分で済む葬儀社)を紹介する活動を行います。
この活動を通じて良識の葬儀を増やしていけば、近い将来、西湘地区からダメ葬儀を一掃できると考えます。
そうなればこの地では、「これからの生活のために家族葬にしたい。」などという悲しい言葉は二度と聞かれなくなるでしょう。
これが唯一この組織の目指すところで、営利は求めません。

この運動は一見ささやかですが、積み重ねていけば状況は必ず変わりますので、是非、皆様のご協力をお願いします。

  平成29年5月

  「良識の葬儀」代表 蓮台寺住職 吉川晃