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2020年10月12日(月)
・今日入った情報2つ。
1.横須賀の火葬場で荼毘回向がなくなったのは、コロナ以降だそうで、その前は行われていたそうです。
横須賀での火葬は2度経験しているけれど、確かそのときは荼毘回向をしたはずだったので、記憶と一致しています。
読経でしぶきが飛ぶのを避けた配慮だろうと納得しました。
2.葬儀社辰若は、依頼件数がとても多いということです。
葬儀担当者も、4年前に方向転換したときから件数が増えていると言っていたので、合致しています。
西湘地区で言えば、市兵衛がそうなると言うのが、私の見立てです。

2020年10月7日(水)
・今年の葬儀の25件のうち、12件は旧檀家(私が住職になる前からの檀家)のもので、残りの13件は新檀家のものでした。
興味深いのは、旧檀家と新檀家では、本堂葬儀の対応にくっきりと差が出たことです。

旧檀家で本堂葬儀を行ったのは3軒なので旧檀家の25%、一方新檀家では11件なので新檀家の85%と、差は顕著でした。
おそらく、両者では情報の伝わり方に差があったのです。

今私は、来年度用に、本堂葬儀パンフレットを作っています。
出来次第、これを全檀徒に郵送します。
こんなことをするのは初めてです。
これによっても、まだ両者に差ができるのか、できないのか、興味があります。
2020年10月6日(火)
・今新しいロッカー式墓地を建設中です。
これが完成すると、更にもう1つのロッカー式を造ります。
そして現在未契約の墓地を含めると100基を超えます。

寺離れが進む中、こんなに造ってどうするかと言われそうですが、私には成算があります。
まだ墓地を求めている人は多く、条件さえ良ければ、寺院墓地でも契約するはずだからです。
むしろ、営利のために造られた霊園墓地よりも、蓮台寺の方が条件はずっと良いので、人助けになるとさえ思っています。

契約料は20万円以下にするので求めやすいし、契約後も普通の寺よりも「かかり」は少なくなっています。
付け届けは廃止したし、寄付を募らないことを宣言しているし、葬儀のお布施は9万円、本堂で葬儀を行えば、小さなお葬式並みの価格で上質な葬儀ができるシステムが完成しているからです。
だから、5年くらいで、全部が契約済みになる自信があります。
2020年10月5日(月)
・かなふく代表がFacebookで、「久しぶりの無宗教葬で、腕が鳴るぜ。」と言っています。
葬儀マンは、こうあるべきと思います。
仏式葬儀は、宗派にかかわらず、ワンパター化しているのも問題です。
2020年10月4日(日)
最近、これでは寺離れが進むのも無理からぬと思う話を聞きました。
ある寺の檀徒が小さなお葬式に葬儀を依頼したところ、住職に拒絶され、別の葬儀社に変えさせられたそうです。
当然費用は余計かかりました。
おそらく、寺と葬儀社がマージンで結託していたのです。
嘗て私にも、そういう誘いが大手葬儀社からありました。

一方、こちらはキリスト教の話です。
知り合いの葬儀社が、後見人の依頼で教会で葬儀を行ったところ、今度はその教会の牧師自身から依頼があったそうです。
「以前の葬儀社の3分の1の費用で済んだので、これからは貴社にお願いします。」
この牧師さんは、上述の住職と違って、信徒優先だったのです。

ところで、以前の葬儀社は、その地域では圧倒的なシェアを持つ大手葬儀社でしたが、これからは、その教会に限ってはシェアはゼロになるでしょう。
理由は違うけれど、西湘地区では6割のシェアの湘和が蓮台寺ではゼロなのと似ています。
こういう事例が積み重なっていって、大手葬儀社は滅んでいくというのが私の見方です。

それはともかく、寺と葬儀社がつるんで檀徒を困らすという話を聞いても、「さもありなん」と驚かない人が多いだろうけれど、教会がつるんで信徒を困らせるなんてイメージは決して浮かばないでしょう。
ここに仏教とキリスト教の差があり、私は仏教界の闇を見てしまうのです。
2020年10月1日(木)
今日、横須賀の火葬場に行って、驚かされました。
火葬する前に荼毘回向のお経をあげる機会がなくなっていたのです。
今までに、横須賀の葬儀を二度経験しているけれど、そんなことはありませんでしたし、他所でも経験したことはありません。
どうしてこうなったのか、いつからこうなったのか、横須賀にだって寺はたくさんあるのに、これを認めたのでしょうか。
もしかしたらこの地の仏教会の希望なのかも知れません。

収骨の時に、私は舎利礼文を唱えたけれど、この火葬場では、これもなくなっているのかも知れません。

葬儀から仏教儀式がなくなっていく前触れなのかと慄然としました。