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2020年8月31日(月)
・これからの本堂葬儀では、「マージン」がなくなります。
これによって、葬儀の無駄が少なくなりますが、私がそれ以上に期待しているのは内容の充実です。
今までの業者は葬儀社の下請けの気分で仕事をしていたでしょうが、これからは全ての業者が元請けになります。
当然、仕事に対する見方は変わるはずです。
今まで見えなかったものが見えてくるはずです。
今まで気付かなかったことに気がつくはずです。
これが反映されれば、本堂葬儀がよりよく変わります。

例えば、食事については、今までも蓮台寺オリジナルがありましたが、更に磨きがかかるでしょう。
花店については、金額が全国一律のようになっている供花に、蓮台寺オリジナルが導入されるかもしれません。
返礼品については、業者が新たに開発した地元特産品が用いられるかも知れません。

これからは、寺、葬儀社と他の業者が同等の立場で仕事に取り組むことになります。
きっと、良くなり、遺族に喜んでもらえると思います。
これが葬儀業の最大の使命です。
2020年8月30日(日)
・次の本堂葬儀から、返礼品、供花、飲食のマージンを止めることにしますが、その根拠を述べます。
ただその前に、徴収する側と支払う側の双方に、あなた方は何を根拠にマージンを取り、払い続けているのかを尋ねてみたいです。
もしマージンがなければ、これらについての遺族の負担は確実に2割以上軽く出来るのですから。
このブログを読んだ、関係者はよく考えてみてください。
単に慣習だからぐらいの答えしかないのなら、葬儀のプロとは言えません。

まず普通に考えれば、マージンは仕事の紹介料と見なせます。
一般社会でも、元請け、下請け、孫請けとあるように、元請けが仕事を取り、それを下に回して紹介料としてマージンを取るという構図があります。
これを蓮台寺の葬儀に当てはめれば、元請けは寺です。
元請けがマージンを取らないのに、下請けからマージンが発生するとはおかしな話です。
それでも、葬儀社がマージンを取るというのなら、葬儀社を介さずに、寺が直接業者とやりとりするというのが今回の「マージン改革」です。

昨年、本堂葬儀で遺族自らが返礼品と供花を用意したケースがありました。おそらく、この家はマージンの無駄を知っていたのでしょう。
当然のことながら、葬儀社もこれを受け入れました。

ただ、会館葬儀の場合は異なります。遺族が直接返礼品業者に頼むと「持ち込み料」という名目でマージンを要求される場合があるそうです。いわゆる、「ショバ代」というやつです。

だから私が考えるに、マージンの根拠となるのは、つぎの3つです。
1.仕事の紹介料
2.ショバ代
3.事務手数料
これからの本堂葬儀では、この3つ全てが葬儀社の手から離れます。
だから、マージンがゼロになるのです。
これで、根拠が明解なのをご理解いただけたと思います。
2020年8月29日(土)
今も遺っているかは分かりませんが、嘗て湘和会館の1つであるカルチャーボンズの一番下の階には、6畳間に1.5畳くらいがくっついた部屋がありました。
遺体安置の部屋だったそうです。そこで私は3度葬儀を行いました。そのうち2度は、通夜式も行いました。喪主がこの部屋を選んだのはその頃には珍しい参列者4人だけの家族葬だったからです。
当然、カルチャーボンズには葬儀専用の部屋がありますが、そこよりも良いと選びました。
経済的に余裕があり、仏事に丁寧な家が選んだのです。

もう1つは経済的な理由で選んだようです。檀徒でないけれど、読経をして欲しいと依頼されて引き受けた葬儀です。参列者は多く、部屋の外まであふれていましたが、焼香炉を回して無事式を終えました。

昨日Facebookに、自宅の1室を改造した遺体安置室の写真が投稿されました。自宅を使うというのは初めて聞きます。コメントに、予算的に他所に部屋を借りる余裕がなかったからとあります。
写真で見る限り、カルチャーボンズの部屋くらいの広さはあるようなので、葬儀が益々小型化している今、葬儀場としての役割を充分に果たせると思います。
どこまでを考えて作られたかは分かりませんが、これからの葬儀を変える非常に大きな役割を果たすような予感がします。

最大の利点は自宅に作ったことで、建設資金も運転資金も従来より格段に低く抑えられているはずで、新しい葬儀にはこれだけで充分なのに、資金がかからないというのは、他に参入の道を開いたことになります。今の葬儀を憂う葬儀マンが他にもいないわけがないので、彼らにとって良き道しるべになります。
そして、この地に同じような試みがいくつか現れれば、必ずこの地の葬儀は良く変わります。
これは、私が予想もしなかった展開ですが、これで私も安心して、良識の葬儀の旗を降ろすことが出来ます。
2020年8月28日(金)
・前にも書いたけれど、葬儀社のホームページの中で、「市兵衛」が抜きん出ているというのが私の評価です。
そして今日改めて「湯潅」の項目がないのも大いに気に入りました。
もっと安ければまだしも、12万円もかけるとは無駄の極みです。

必ず言い訳として、「遺族が望んだから。」となりますが、殆どは値段を提示しないまま、遺族の心情を揺り動かし、金儲けしているだけです。
口車に乗せられて注文した後に金額を聞いて驚いたという例が多すぎます。
2020年8月27日(木)
・昨日、ゆうの墓への納骨を行いました。
福祉案件の葬儀で、立ち会ったのは遺族ひとりと葬儀担当者でした。
いつものように、それ以上でもなく、それ以下でもない戒名授与式を行いましたが、ひとつだけ今回初めて、特別なことを行いました。
福祉関係なので、位牌を作る余裕のないことを考慮して、オリジナルを作ろうと思い立ち、右上の写真と同じ内容をはがきサイズに印刷し、ラミネートして手渡しました。

たいそう喜ばれたので、これも、蓮台寺オリジナルの1つになりそうです。
2020年8月26日(水)
・昨日のマージンの件ですが、返礼品の場合は、極めてことが簡単です。
葬儀社の仕事は、おおよその数を聞いて発注するだけです。
返品が効くので、これはプロフェッショナルな仕事とは言えません。
返品数の確認は遺族と寺で出来るし、支払いは寺が遺族から預かって直接業者に手渡せば済むことです。
私は、檀徒の立て替えなど始終行っているので、手慣れています。

蓮台寺の通夜料理は特別で、私が東華軒に依頼して蓮台寺用に開発した商品で、当初は私が発注していました。
いつの間にか、葬儀社が代わるようになりましたが、私が出来たのだから、簡単な仕事です。
実際料理に関しては、マージンはないようです。

生花に関しては、やっかいなのは、名札があることです。
現場を見ていると、間違ってはいけないので、ずいぶんと神経を使っています。
もし名札がなければ、発注が簡単になるので、蓮台寺の生花は名札なしとするのも一案です。
私が喪主を務めた母の葬儀では、26基が飾られましたが、名札は一切付けませんでした。
こういうスタイルは、始めてみれば、直ぐに慣れるものです。

というわけで、葬儀社の手を煩わさなくても事が運ぶので、そうすれば、マージンを取りようがなくなり、めでたしめでたしです。
とにかく、遺族の知らないところで無駄をさせるのを慣例として何も思わないこの業界人の精神は大いに問題ありで、是正すべきです。
2020年8月25日(火)
・次の本堂葬儀から、「マージン」を廃止することにします。
マージンとは、返礼品、生花、食事の代金について、それぞれの業者が葬儀社に支払う費用のことです。
通常は、2割から3割と言われていますが、この存在は一般には知られてはいません。
でもよく考えれば、これはおかしいと言うよりも、遺族への裏切りとも言えます。
もし仮にマージンが3割だとしたら、遺族が2000円支払ったうち、600円は遺族の知らないうちに葬儀社の懐に入ってしまうからで、もし直接業者と交渉すれば、1400円支払えば良いからです。
マージンの考え方のひとつは、仕事を紹介したことの紹介料です。
でも本堂葬儀の場合、仕事を取ってくる親玉は私なので、マージンは私に払うべきで、払う相手が違います。
もう一つの考え方は、事務手数料です。
もしそうならば、遺族に代わって仕事をするのだから、それに相当する金額を遺族からもらうべきです。

高月想送が提携する大磯葬送のカタログには、生花と返礼品は「持ち込み可」となっているので、マージンは発生しないことが前提になっているはずです。
だから、マージンなしの葬儀は、高月葬祭なら自然に受け入れてくれるはずなので、まずは試みようと思います。
今日、知り合いの返礼品業者に話したら、そうなれば返礼品を普通の2割引にすることを約束してくれました。
次は花屋と交渉します。
こちらは、葬儀社に遠慮して簡単に了承してくれないかも知れません。
もしそうなったときは、別の花屋を探すだけで、必ず「マージンなし葬儀」を実現して見せます。
2020年8月24日(月)
・今のように、檀徒からの葬儀依頼が直接寺に来るようになると、これに対処するには「メイン葬儀社」を決めておくのが最善との結論に達しました。
条件は、いつ何時でも依頼に応じることが出来るような、一定以上の規模を持つ葬儀社です。
個人の葬儀社では、対応できない経験をしたからです。

その葬儀社とは、次のような内容の協定を結びます。

・いくつかの「蓮台寺プラン」を作り、蓮台寺檀徒の場合にはプランに応じて、同一内容、同一価格で葬儀を実施してもらう。
・蓮台寺としては、一定件数以上の葬儀をこの葬儀社に依頼する。

最初の契約は1年に限定します。
修正して続けられるようなら、継続しますが、そうでなければ破棄します。
何でも試してみること、ただしダメなら直ちに止める、これが私の流儀です。
交渉相手はいるので、協定が成立すれば来年から実施します。
これに伴い、葬儀料を改定します。

契約が成立した後でも、檀徒が自ら葬儀社を選んだ場合は、それが私が嫌いな湘和であっても、無条件で引き受けます。
どういう結果になろうと、それは檀徒の責任ですから。
2020年8月23日(日)
・最近になって、福祉課扱いの葬儀で他に納骨場所がない場合、遺骨の一部だけを2.5寸の骨壺に収め、その骨壺を保管倉庫で管理することを知りました。
2ヶ月前、ゆうの墓へ、ご夫婦の遺骨が合祀されました。
先に亡くなられたご主人の骨壺は2.5寸で、奥様のは7寸でした。
私が想像するに、奥様がご主人をひとりで見送ったときには、墓の当てがなかったので2.5寸を用い、奥さんが亡くなられたときには、親類が関わり、ゆうの墓への納骨が決まっていたので7寸骨壺になったのだと思います。
このとき、もう少し早く縁を結べていれば、ご主人をゆうの墓に合祀し、奥様はお墓参りが出来たのにと思いました。
保管倉庫の場合は、お参りが出来ないそうです。

今日、火葬場にいる葬儀仲間から、ゆうの墓への納骨の依頼がありました。
「やっぱり、お参りがしたいようなのです。」
既にお骨は2.5寸に収められているので、遺族の希望で急遽変更になったのでしょう。

私は、死んだ人間にとって遺骨は単なる物でしかないけれど、遺された人たちにとっては、それぞれの思いが詰まった精神の塊のような存在だと考えています。
だから人々は、それが納められた墓に参るのだと思います。

今回、直前になって、遺族が墓参りできるようになったことは大変喜ばしいことです。
2020年8月22日(土)
・お盆を挟んだ1週間、私にしては珍しく積極的になって、4社と話し合いしました。
その結果、新しく高月想送が本堂葬儀に加わってくれることになり、加えてイヨダが改めて協力を約束してくれました。
ずっと、今のままでは不安定と心配してきましたが、これで一安心です。
あとはこの新体制を上手く運営できるかですが、ここまで来れば、見通しは明るいです。

今、未契約のロッカー式墓地は28基ですが、新たに80基近くが出来る可能性が出てきました。
建設予定は、2つの墓地の跡地です。
まだ内定段階ですが、正式に決まれば、直ぐに工事を始めます。
これだけの数が揃えば、大々的に宣伝が出来ます。
ただし、これは檀家を増やすのを目的とせず、この地の葬儀を変えるために使います。
基本的には葬儀とセットにした契約にし、蓮台寺が指定した葬儀社しか受け入れないことにし、他で葬儀を済ませた納骨は断ります。
2020年8月21日(金)
・この数日間の経験で思い出したこと。

住職になりたての頃「にわか坊主」と、同業のプロたちに思われていました。
面と向かって、そのように言われたこともあります。
事実だから仕方ないと思っていましたし、今でもプロ意識など露程も持っていません。
だからこそ、寺離れを食い止められたのだと思っています。
同じことは、他の業種にも言えるのだと思います。

2020年8月20日(木)
・この数日間の経験で思ったこと。
「技術は、教育や経験で誰でも習得できるけれど、理念を持つことは人間性に関わるので、誰でもと言うわけにはいかない。ただ、理念がないと、新しい道を切り開くことは出来ない。」
2020年8月19日(水)
よく考えてみたら、本堂葬儀と会館葬儀は全く相容れない概念です。
蓮台寺を例に取れば、現在は葬儀の7割が本堂で行われています。
そして間もなく、8割から9割へと進んでいくでしょう。
だから既に蓮台寺では、実質的には会館は不要になっています。
これが、他寺にも広まった場合、会館葬儀のシェアは激減し、会館は使われなくなってしまいます。
だから、蓮台寺のような本堂葬儀が広まるのは、葬儀業界にとっては大変な脅威で、のこのこと本堂葬儀に協力などできるはずがありません。
だからひょっとすると、蓮台寺は会館を持つ葬儀社全てから敵視されることだってあり得ます。
それはとてもやっかいなことですが、ここまで進んできた以上、自業自得と諦めて、知恵を絞り出す覚悟でいます。

ところで、これから大磯葬送がどのくらいの広がりをみせるか分かりませんが、実績を積めば、必ずカンブリア宮殿やガイアの夜明けで放映されることになる質の良さです。早くそうなって欲しいのは、それによって、本堂葬儀が加速することを期待するからです。
2020年8月18日(火)
・今日、大磯葬送という葬儀システムの存在を初めて知りました。大磯の寺院と高月想送が共同で開発した寺院葬のプランですが、蓮台寺の本堂葬儀よりも遙かに画期的です。詳しい内容はいずれ知られるようになるに任せるとして、蓮台寺との違いは、蓮台寺の葬儀がコツコツと進めた改革に葬儀社がその都度技術的サポートをしながら育ってきたのに対し、大磯葬送は初めに理念があって、それに合わせて寺と葬儀社が共同で作り上げたことによるものと感じました。
理念が先行しているので、すっきりしているし、他所でも取り入れやすいので、葬儀業界改革の起爆剤になる可能性が大いにあります。
なお、高月想送は、本堂葬儀に協力してくれることになったので、その影響で蓮台寺の葬儀も変わっていくと思います。
2020年8月17日(月)
・明日、高月想送の代表と会うことになりました。
目的は、本堂葬儀を行う仲間に加わって欲しいからですが、今はそれは二の次で、彼の話を聞けるだけで充分という思いです。

私は、ホームページを見るだけで、その葬儀社の格付けが出来るくらいに目が肥えています。
その意味で、この地区で一番は、なんといっても市兵衛ですが、昨日、高月想送のホームページを見つけて、不思議な感動を覚えました。
私がイメージしていた高月想送とは良い意味でかけ離れていたからです。
最初は、プロに依頼して作ったものと思いましたが、よく見ると稚拙さだらけで、これはどう見ても手作りとしか考えられません。
それでも、代表の熱き思いをそこここに見ることが出来、なにゆえに無謀と周囲から評される起業を敢えて行ったかが分かり、感動したのです。
明日は、その点を更に詳しく知りたいと思いますが、私にとっては久々に、葬儀が変わる予兆を感じられ、幸せな気持ちになっています。

高月想送のホームページは以下です。
https://www.ttsousou.com/
2020年8月16日(日)
・寺離れが止まらないのは、寺がそれを止める能力を無くしているからで、同じく、葬儀破壊が進行しているのは葬儀業界が力を無くしているからです。

これを止めるには、新しい考えの勢力の台頭が必要ですが、世襲制を基本とする寺院にはその余地はありません。
おそらく、座して死を待つことになるでしょう。

でも、葬儀業界は違います。
大手の葬儀社は営利追求から脱することは出来ないだろうけれど、中規模以下の葬儀社は小回りがきくので、時代に対応していける可能性があります。
更に、新規加入の葬儀社は、元々が新しい理念があるからこその参入のはずなので、業界を変えていく可能性を一番持っています。
ただ、私は今までにたくさんの葬儀マンを見てきましたが、そういう理念を実現しようと試みた人は誰ひとりいませんでした。
皆、及び腰でした。
「言うは易く」なのでしょう。

ところが今日、高月想送のホームページを見つけて、初めてその可能性を感じました。
その代表者は、ずぶの素人からこの業界に入った人間で、周りの一級葬祭ディレクターたちからはあれこれいわれているけれど、私は、彼にこそ真の葬儀マンたる姿を初めて見た思いになり、今日は嬉しい日になりました。
2020年8月15日(土)
お盆の墓参りで、3つ折りパンフレットがずいぶん持ち帰りされています。
3種類のうち、「本堂葬儀」が一番減っています。
やはり皆さんにとって、これが一番の関心事なのでしょう。
私は、このパンフレットに、葬儀にかかる総費用を明示しました。
これが、良識の葬儀が目指すスタイルだからです。
私はこのパンフレットの中に次の一文を載せました。
「住職になって直ぐに始めた本堂葬儀は、同一内容、同一価格に規格化し、葬儀の無駄を省こうと意図したものです。
当時の葬儀では、祭壇をはじめとして、棺や骨壺などあらゆる物品にランク付けがあって、最低ではみっともないの心理からか、多くの人が無駄な負担をするのを見てきました。
それならば、品質と価格を保証した1種類しかないプランを本堂で実現しようと考えました。」
まさしく、この考えを数字で示したのです。曖昧さが全くないので、これを読めば、遺族は安心して葬儀に臨めます。
ある人がこのやり方を評して「選ぶことが出来ない自由がある。」と、上手いことを言っていました。

振り返って今の葬儀業界を見れば、価格表があったとしても相変わらず「¥○○○~」と、「~」付きだらけです。
「遺族に選んで戴く。」という、尤もそうな言い分を聞くけれど、全く未経験な遺族がまともな判断が出来るはずもないので、良い案を「押しつけてやる」のが、本当の思いやりというものです。
本堂葬儀の評判がいいのは、これを実践しているからです。

私が市兵衛を評価するのは、ホームページのスタイルが、私が作ったパンフレットと瓜二つだからです。こんなホームページは、西湘地区では、他にはありません。
皆「~」付きです。これを付けるのは、「あわよくば」の魂胆が透けて見えるので、私は嫌いです。
市兵衛が、どうしてこういうスタイルにしたかはまだ不明ですが、これが、市兵衛と接触してみたくなった理由です。
2020年8月12日(水)
・今日、良識の葬儀の窓口になっている葬儀マンから、良い報告がありました。
「倶会の葬儀希望者が入院していて、コロナの影響で会えないけれど、自分の判断では、ゆうの葬儀に切り替えるように勧めたいと思います。」
経済的に余裕のない家のようで、26万円の倶会の葬儀よりも、14万円のゆうの葬儀の方が負担が少ないという判断です。
今時の大きな葬儀社が遺族に無駄を押しつけるのをたくさん見てきた私には、ハゲタカ葬儀とは逆バージョンが気に入って、即座に了承しました。
2020年8月4日(火)
2020年8月2日(日)
・今日、霊園墓地の家の満中陰忌法要がありました。
その家の当主が亡くなって、他家に嫁いだ娘さんが施主を務めました。
私は彼女の負担を考えて、離檀も選択肢に入れて良いと伝えました。
霊園墓地なので、墓終いをする必要がなく、「離檀します。」と意思表示するだけで済ませられます。
数年前に、同じ霊園の家が、私の勧めで離檀したことも話しました。

彼女はおそらく、私が住職をしている間は離檀しないでしょうが、私の後、仮に蓮台寺が昔に後戻りしてしまったならば、今日の言葉を思い出して欲しいと思います。
2020年8月1日(土)
・新型コロナの感染者が急増しているのに、政府が動こうとしないのは、無策ではなく、これを最善策としているように最近思えてきました。

物事を正しく判断するには、基礎になるデータが必要だけれど、それを一番持っているのは政府だし、そのデータを分析する能力を持つ優秀なスタッフをたくさん抱えているのも政府です。

私を含め、民間がああだこうだというのも、所詮「群盲象をなでる」がごとくのような気がしてきたのです。

一番気になるのは、今のコロナ騒ぎは、メディアが彼らの仕事のために作りだしている「空騒ぎ」のような気がすることです。
今の日本では、インフルエンザの死亡者は3000人を超えているけれど、コロナの死者はその三分の一です。
緊急事態宣言によって、死者は抑えられた面があるのでしょうが、新幹線の乗車率がゼロという状態を続けては、コロナ以上に多くの人を不幸にするので、もうこれは採用すべきでないと思います。
当然宣言を出さなければ、死者は増えるだろうけれど、インフルエンザでも人は亡くなっているのだから、これを受け入れるのは仕方ないことだと思います。
コロナの死者をひとり減らすためにその何百倍の人を不幸に落としかねません。
でもこんなこと、政府が言えるはずがありません。
それこそ、袋だたきです。

ただ、幸いなことに、日本人には「ファクターX」が存在するらしいので、それを頼りに「無策」でいるのに賭けてみようと思います。

なお、私は老齢の上に疾病持ちなので、コロナに一番弱い人間です。
私など、感染すればイチコロでしょうが、注意さえすれば、免れるように思うので、もうこうなったら、自己責任を貫こうと思います。
妻はチケットを買っていた2つの音楽会の出席を取りやめました。
私にコロナがうつらないようにするためだそうです。