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2020年6月20日(土)
・昨日、ヤフーニュースの記事を転載したのは、今の政府に薄汚さを感じて嫌悪していたからです。
しかし、だからといって私には確たる証拠もないので今までは黙っていたのだけれど、プロが書いた記事を見つけて鬱憤晴らししてしまったのです。

吉田茂首相のときから、日本のトップを見てきたけれど、今の総理大臣ほど、自分とその身内のためにやりたい放題していると感じる人物は記憶にありません。
政治は最高の道徳などと言うつもりはないけれど、これだけいろいろあり、それが通ってしまう今の日本は一体どうなっているのでしょう。
でも、形式的な最終責任はそういう政治を選び、それを許している我々国民にあることは間違いないことです。

不幸なことに、では、これに代わるべき人物が見当たるかと問われれば、答えに窮してしまうのが今の日本の現実です。
「仕方ないよ、これが日本の民度なんだから」と諦めざるを得ないほど、日本は衰退してしまったのだと思います。

2020年6月19日(金)
・ヤフーニュースに次の記事が載っていました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/68e35a943e7c5c197eef5d7726a198f025ebb01a

私には、納得のいく内容なので、紹介します。
2020年6月16日(火)
・現時点においては、日本でコロナの被害が少なく済んだ最大の理由は、私は「民度」だと思っています。
でも、今日のネットニュースに、次の記事が載っていました。
「財務省の公文書改ざん問題で、改ざんを苦に自殺した同省近畿財務局職員の遺族が再調査を求める署名を提出したことについて、麻生太郎財務相は16日の閣議後会見で、再調査しない考えを改めて示した。」
こういうことをうそぶく人間が政府要人でいられるのは、こんな輩を選んだ我々に責任があるのだから、日本人の「民度」もこんなものだと自戒しなければなりません。

もう一言付け加えれば、では、これに代わり得る政府が今の時点で考えられるかと言うことです。
その意味で、民主党政権の大失敗は日本に大きな悲劇をもたらしました。
2020年6月13日(土)
・コロナ対策のために、葬儀のやり方が著しく変化しています。
例えば火葬場では、「三密」を避けるために参加人数に制限がなされ、飲食も禁止になりました。
同じく密を避けるという理由で、葬儀自体も一般葬を止めて親族のみの家族葬にするケースが増えています。
更に、密の機会を減らすために、通夜式を省くことも多くなっています。
当然、私が嫌う通夜振る舞いはありません。

これを、「脱無駄」という観点から見ると、葬儀の未来が見えてきます。
コロナ感染を防ぐための最も効果的な方策は、「不要、不急」を避けることでした。
その結果が、今の簡素な葬儀になったのだから、実際に行ってみて、多くは、「なんだこれでよかったのだ。」と気づき、今までが如何に無駄をしていたかを認識したはずです。

ひとつの例を紹介します。
コロナ対策の当初、通夜料理を出せないので、代わりに持ち帰りの弁当を300個用意したら、200個余ってしまったそうで、喪主はショックを受けたそうです。
勿論、食べ物だから返品はきかず、1個1000円とすれば、20万円がゴミになってしまったのです。
ただ、コロナ前だって、同じようなことがあちこちで起こっていたはずで、弁当でないので分かりずらかっただけです。
当然この無駄は、葬儀社もケータリング業者も十分知っていたはずで、その堕落さが今回のコロナで明らかになっただけで、堕落が知れてしまった以上、もう後戻りはできなくなるはずです。

蓮台寺では、今年になって14軒の葬儀があったけれど、そのうち通夜式を行ったのは4軒だけで、あとは1日葬が6軒、火葬式が4軒でした。
この傾向は、更に加速し、いずれは通夜式を行う家はなくなるような気がします。
私はそれでよいという考えで、これからは、1日葬と火葬式に磨きをかけようと思っています。

2020年6月6日(土)
・NIFTYニュースによると、日刊ゲンダイが麻生大臣の発言を「非科学的」と断じているようです。
麻生キャラで、民度という言葉を使ってしまったばかりに「偉そうに」などと批判を浴びていますが、自身も弁明しているように、「日本では他国よりも緩やかな規制にもかかわらず、国民が社会的距離を守ったのが成功した。」というのが真意です。
これが何故非科学的と言えるのでしょう。
現在いろいろな説が飛び交っていますが、私から見れば、これがダントツに科学的な理由だと思います。
日本よりもっと成功した国はありますが、それらは、日本よりも遙かに素早い政策の故に、社会的距離を初期のうちから実現したからで、それよりももっとのろまな対応であったにもかかわらず、日本のダメージが少なかったのは、麻生大臣の言う「民度」と考えるしかありません。
「非科学的」と断ずるのであれば、そういう日刊ゲンダイこそ、「科学的」な根拠を明示すべきです。
それをしないで、「非科学的」と断ずるのは、愚者の所業です。
日刊ゲンダイに限らず、マスコミのこういういい加減なところが私は嫌いで、軽蔑するのです。
2020年6月5日(金)
・麻生大臣が「日本のコロナ死者が他国に比べて少ないのは、民度の違い。」の発言に、あちこちから批判があるようです。
「民度」というと、あたかも日本人の優秀性を言っているように聞こえますが、これを「国民性」と言い換えれば麻生大臣は正しいことを言っているのだと思います。
批判している人に「では、あなたは日本人の死者が少ないのは何故だと思いますか。」と問えば、誰も答えられないはずです。

医学研究者の中には「ファクターX」なるものを探そうとしている人たちがいるようですが、結局は見つからず、麻生大臣の発言以上にはならないと私は思っています。

なお、麻生大臣の発言は単なる個人の思いつきではなく、役職柄、周りには優秀なブレーンが多数いて、その結論である可能性が大です。
ただ、これをブレーンたちが公言することはできないけれど、麻生キャラだからこその発言になったのだと考えれば大いに納得できます。

結論は同じことでも、「民度」でなく「国民性」と言い換えておけば、それほど角は立たなかったはずです。
「国民性」には、幅広い要素が含まれていて、今回のコロナについては、よい面が出たけれど、日本人のどうしようもない悪い面を、私は葬儀を通じてたくさん経験しています。