戒名について


 戒名一律  母の戒名  戒名の将来
戒名一律
『時宗法要教典』(昭和54年12月1日発行、131頁)によれば

@「法名は仏教に帰依した人につける名で、僧侶は得度式の時に、在俗者は受戒式、葬式の時に授けられる。葬式の場合には、死者は導師の引導によって迷いの世界から浄土に生まれ変わり、諸仏の仲間に入ったのであるから、娑婆の仮名(俗名)を去って、彼土(法の世界)の法名が与えられるのである。」

とある。さらに

A「法名を本宗では、名号という。時衆初期教団では、男には阿弥陀仏号、女には弌房号を授与したが、現在では他にならって、院号、阿号、法名(戒名)、位号を授与することになった。」

そして、さらに

B「名号は、死者の身分地位功績年齢、男女老若信不信等によって院号阿号法名位号等を選ぶべきである。」

とある。(@、A、Bは私がつけた。)

これは時宗の公式的な見解であるが、戒名に対する基本的考えは、他宗でも同じであろう。しかし@の中の「娑婆の仮名(俗名)を去って、彼土(法の世界)の法名が与えられる」という部分と娑婆の差別を持ち込むことを認めているBは明らかな矛盾である。『時宗法要教典』にも、@、A、Bに続けて次のように書いてある。

C「これらの尊称性称は、元来性別を表示すると同時に、仏道修行の浅深を表したものであったが、後には、亡者の社会的地位、経済上の差別、または寺院に対する勲功の軽重によって、勘案されるようになった。法名は、仏門に入った身としては、平等一味、差別があるはずがないが、封建的習風は、現今に及び、かかる通弊に堕いったが、院号は許された名家由緒ある家柄を除き、新たに授与する場合は、国家社会に功労のあった紳士淑女、または篤信者に限るべきである。しかし、現在はかなり濫授している傾きがある。」と。

ここで述べているように、「法名は、仏門に入った身としては、平等一味、差別があるはずがない」のであり、法名に差別があるのは「封建的習風」の名残り、「通弊」にすぎないのである。私にいわせれば、@に記した戒名の本来の意味からすれば、たとえ封建制度のもとでも、戒名に差別をつけるのは間違っていたのである。いつのころからこうなったのかは知らないが、戒名に差別をつけた時点で、仏教の衰えが始まったのだと思う。この間、宗派を越えて名僧、高僧といわれる人が多数輩出したが、彼らがどうしてこんな簡単なことを見逃し、阻止しなかったのか、歴史の不思議としかいいようがない。
 一歩譲って、「名家由緒ある家柄」、「国家社会に功労のあった紳士淑女」に”良い戒名”をつけるとしても、それを判断する基準は曖昧である。強いて客観的基準を設けるならば、「寺への寄進額の大小」であろう。建前はともかく、これが多くの寺の戒名の基準になっているはずである。また、「篤信者に良い戒名を」という話をよく聞くが、私は檀家にはこういっている。「本当に信心深い人が戒名の長さにこだわるはずがない。信心の足りない人ほど長い戒名を欲しがるものだ。」と。
 私が住職になる前、蓮台寺の戒名は13段階あった。しかし私が蓮台寺の現状を調査した結果、戒名と寺への寄進の相関は限りなくゼロに近いことがわかった。とっくの昔に戒名制度の因って立つ経済的環境は崩れていたのである。この現状を鑑み私には2つのとるべき道があった。「戒名に差がある現状を認め、寄進額に差を付けるように戻す」か、「寄進額に差がない現状を認め、戒名を一律にするか」である。
 私は迷うことなく後者をとった。昔はともかく、名家といえども今や戒名の差を維持するだけの圧倒的な経済力は無くなっており、この現実は動かしがたいと判断したからである。勿論、「戒名一律」が、仏教本来の姿であるということは言うまでもない。
 こうして私は、住職になって初めての葬儀から、「戒名一律」を実行した。一律の戒名は7文字の居士、大姉である。院号はつけないことにした。「戒名一律」だけを考えれば全てに院号をつけるという選択肢もあったが、これは仏教本来の姿ではない。こうすれば檀徒の抵抗は少ないだろうが、寺の品が落ちると判断して採用しなかった。また、時衆初期教団の姿に戻り、阿号、弌号のみとする案も頭をかすめたが、これでは変えすぎだろう。檀徒が許してくれまい。そこで、私は現実に妥協して、13段階の真ん中をとることにした。それが7文字の居士、大姉である。なお、「戒名一律」に伴い「葬儀料」も一律にした。
 こうして5年がすぎ、私はおよそ50の葬儀で導師をつとめたが、「戒名一律」におもてだって異を唱えた家はない。今では、筆頭総代を始めとする、全役員もこの方針を理解してくれている。事実をいえば、「戒名一律」を決断したときには、檀徒の抵抗が大きいことを覚悟し、それなりの理論武装もしていた。しかし、あっけないくらいに抵抗は小さかった。「戒名一律」が現実にあった選択であったからだと思っている。
 寺に残っている封建的習風は、戒名問題だけではない。役員の世襲制も封建的習風の1つである。私は、これも変えた。実際に動いてくれる3分の1の役員に残留してもらい、他は入れ替わっていただいた。任期も明確にした。檀徒の負担も、役員であろうと無かろうと平等の負担にした。寺に貢献してくれる意欲のある人は、新檀家であろうとも登用した。こうして、名ばかりであった役員組織は生き返った。
 私たち夫婦には子供がいない。蓮台寺にとっては、これは幸運であった。私は、後継者として、血縁関係の全くない在家の信者を選んだ。これで蓮台寺では、住職の世襲制も途切れることになる。私はこれが最も重要な「寺改革」であると思っている。
母の戒名
私は母が亡くなる前に、母の戒名を決めていた。
「和一清尚」。
「 わ いち せい しょう 」と読む。
これは蓮台寺の標準戒名の付け方とは次の点が異なる。
@女性の戒名は「和弌」であるが母の場合は「和一」とした。
A標準戒名は7文字であるが、母の戒名は4文字である。

解説
(@について)
 時宗の戒名の特徴は、男性には「○阿」、女性には「○弌」がつくことである。それぞれを「阿号」、「弌号」と呼ぶ。「弌」は「一」の異体字である。
 ちなみに僧である私は「岳阿」という阿号をもつが、これは、「岳阿弥陀仏」を略したものである。「○弌」は「○弌仏」を略したもので、「弌仏」は「阿弥陀仏」のことである。「阿号」、「弌号」ともに、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えれば全ての人が極楽往生でき、阿弥陀仏のお弟子さんになるという教えを戒名の中に具現したものである。
ところで、「弌」という文字は一般にはなじみが薄く、読める人は少ない。古い墓石を見ると、昔は「弌」でなく、誰でも読めるわかりやすい「一」を用いていたのに、なぜわざわざなじみの薄い「弌」を用いるようになったのだろうか。ともかく、私は「誰にでも読める、昔に戻そう」と考え、母の場合には「和一」とした。
(Aについて)
 蓮台寺の新しい戒名システムに従えば、「和一清尚」の後に「善大姉」の3文字をつけるのがきまりである。しかし、私は次の理由でこの3文字を省いた。
 「大姉」の起源については定かでないが、「信女」とともに位号と呼ばれ、長い間戒名の差別化の重要な役割を担ってきた。しかし、差別化を廃止した今の蓮台寺においては、もはやその存在意義は無くなったのである。しかし、多くの檀徒が、いまだに古い戒名の価値観を引きずっているのが実状の今、これを簡単に無くすわけにはいかない。もともと私が、「7文字一律」を決めたのも、多くの檀徒の心情に妥協した結果なのである。ただし私は、自分の母の戒名くらい、自分の考えを具現したいと思い、「和一清尚」とした。
20年前、母は、父の葬儀の時、「お布施をもっと出して、戒名を1文字増やしてもらうよう、お寺に頼んでくれないか。」と、喪主である私に言った。当時、吉川家の菩提寺は曹洞宗の寺であり、私はその寺の1檀徒として父の葬儀を行った。その寺を離檀して蓮台寺に墓を移したのは、平成15年夏である。
母の申し出に対し、「もともと戒名は2文字なのだから、これでいい。」と私は断った。ちなみに父の戒名は「秋窓悠久信士」である。父の死後、遺族年金で暮らしていた母は、口癖のように「今あるのはお父ちゃんの働きのおかげ」と言っていた。自分の戒名が4文字となったことで、「戒名がお父ちゃんより長くなくて良かった。」と、ほっとしているに違いない。

 
戒名の将来
 かつて、私が尊敬する橘俊道師が、時宗の若き修学徒に、次のように語ったという。
「時衆初期教団では、法名は阿号のみであった。当時に戻り、法名を、阿号に統一すれば、時宗教団はよみがえる。」
 これは、橘師がお亡くなりになった後に聞いた話であるが、いたく感銘したことを覚えている。これについて、私なりの考えを述べたい。

 「名は体を表す」というが、私は「法名は教団の実体を表す」と思う。阿号のみという、シンプルな法名は、捨聖として全国を遊行し、人々にひたすら念仏を勧めた一遍上人の教え・生き方を見事に具現したものといえよう。「一遍」という上人の名そのものが、「念仏によって、一仏(阿弥陀仏)と遍くが(一切衆生が)一体化する」という教えを表しており、阿弥陀仏と一体化した衆生の法名としては、阿号ほどふさわしいものが他にあるだろうか。法名が阿号だけであった時代、時宗教団は生き生きしていたはずである。

 現在を振り返ってみよう。法名には、阿号のほかに、院号、法名、位号が付くようになった。檀信徒は、時衆本来の法名の意味、その中に含まれる教えの意味などどうでもよく、 ただただ、「戒名の長さ」、「院号が付いているか付いていないか」、「居士か、信士か」などに気を奪われているのが実情である。

 教団は、「教え」が命である。その「教え」を具現化しているはずの法名が、今のままでは駄目、と橘師は思われたに違いない。ただし、橘師はご自身の寺では、そのお考えを実行に移されなかった。時宗教団の中で重要な地位を占められていた師のお立場では、難しかったに違いない。「にわか坊主」である私でさえ、最初は「7文字の戒名一律」を打ち出すのが精一杯だったのだから。

 「戒名一律」を決断したとき、私はすでに橘師のお考えを知っていた。理想主義者ではなく、極めつけの現実主義者である私は、橘師の理想を実現しようとしたのではなく、ただ現実的な判断だけで「戒名一律」を決めたのだが、決断に際しては、橘師のお考えが私を勇気づけてくれたことも確かである。

 私は、母の戒名「和一清尚」で位号というアクセサリーを初めて取り除いた。妻は「とても良い戒名」だと褒めてくれた。しかし今は、「たったの4文字か」と思う人も多かろう。そのことを考慮し、現実主義者である私は、無理をしない。今まで通り、「7文字の居士、大姉」の戒名を付けるつもりだ。

ただ、いつの日か、位号も無くした戒名の時代が蓮台寺にやってくるような予感がする。そのとき、蓮台寺は、今よりも品のいい、生き生きした寺になっていると私は思う。