原点

・はじめに

住職に就任して以来 私は寺の有り様、葬儀のあり方を従来とは大幅に変えてきました。
主な変更点は次の3つです。
1.戒名一律
 平成9年、住職になって初めての葬儀で、従来は13種類あった戒名を1種類にすることにしました。
院号を廃止して
男性は ○阿○○清居士
女性は ○弌○○善大姉
の7文字に統一しました。
2.寄付の廃止→長期積立金の導入
 住職になった時から本堂建て替え等の寄付は募らないことに決め、年間300万円を預金し始めましたが、4年後の葬儀料改定に伴い、長期積立金を全檀家に納めていただくことにしました。
3.半返し葬儀の復活
 嘗ては、「不祝儀には半返し」の良き伝統があり、遺族を助けていましたが、いつの間にか「余分返し」が当たり前になっているのを元に戻しました。

これらはいずれも、私の実体験が元になっています。
いわば、蓮台寺住職たる私の原点です。
最初の2つは、私が9歳の時の経験が元になり、3番目は平成28年の葬儀がきっかけでした。
それらがどういうものかを皆さんにお知らせすることで、今の蓮台寺をより理解していただけると考え、紹介する次第です。
・戒名

私の父は、明治38年生まれで、自分がおなかの中にいるときに父(私の祖父)に死なれました。
やっと葬儀を済ませた祖母は、最低ランクの戒名しか付けられなかったことが悔しくて、後年、金一封を持って戒名に1文字加えてくれるように、寺に頼みに行き断られたそうです。
そのことを私が知ったのは9歳の時で、「大人はなんて馬鹿なことをするのだろう。」と思った事を覚えています。
最初この嘲りに似た感情は、祖母に向けられていましたが、成人してからは、祖母にそのような悲しい行動をさせたのは寺の責任だと思うようになりました。
今思えば、戒名問題は「裸の王様」の寓話と根本は同じです。
マインドコントロールされてしまった大人達がありがたがる戒名も、子供の純な目で見れば滑稽以外の何物でもなかったのです。
お釈迦様の教えと時宗開祖一遍上人の生き方に照らし合わせれば、戒名の差別化、そしてそれが売り物になっている現状は仏教の堕落と言わざるを得ません。
住職になりたての頃、仏具業者から「にわか坊主」と言われたことがあります。
事実がそうなのだからそれを素直に受け入れましたが、プロでないからこそ本質がよく見えるとも思いました。
子供の目と同じです。
本質がわかった以上、それに反する行動は取れなかったので、住職になって直ぐに、戒名一律に踏み切りました。
・寺の寄付依頼

これも9歳の時です。
ある日我が家に菩提寺から封書が届きました。
本堂建て直しの寄付の依頼でした。
父と母は、それを見て困惑していました。
高額だったからです。
父の給料の数ヶ月分だったと記憶しています。
思わず、「払っちゃダメ。」と私は叫んでいました。
私の剣幕に驚いた両親は、私の前では2度とこの話はしませんでしたが、それからしばらくして、分割で支払ったことを姉から聞いて、「どうして払ったんだ。」と悔しくてなりませんでした。
成人してからは、この種の寄付が檀徒の不安材料であることを知りました。
友人が菩提寺を選ぶ場合、なるべく建物が新しい寺にすると言っていたのは、その表れです。
そうは思っていても、私は住職になって2回、寄付を募りました。
1つは、二祖像と一遍像の修復、もう1つは熊野社の修繕です。
両方とも、寄付なしで行った一諸堂の建設、山門の建設などに比べれば少額で、寺の経理で賄えたのですが、信仰の対象物なので、寄付を募った方が良いと判断しました。
それ以外に大きな工事はいくつも行ってきましたが、それらは全て寺の経理で賄ってきました。
今は、長期積立金制度が軌道に乗っているので、今後は規模の大小に関わらず、寄付を依頼しないことに決めました。
 ・余分返し葬儀

平成28年、49才で亡くなった非檀徒の男性の葬儀を頼まれました。
喪主の奥さんは、25人の家族葬を希望されたので、理由を尋ねたら、「今の葬儀は参列者が多いほど赤字になると言います。私はこれから3人の子供と生きていかなければならないのでそんな余裕はありません。」と答えました。
それを受けて、「大丈夫です。蓮台寺の葬儀はそういう無駄をしないので、ご主人のお知り合いにはなるべく来ていただきなさい。」と勧めた結果、300人を超える弔問がありました。
もし25人の家族葬にしていたら、弔意を表したいと思っていた多くの人たちの想いはどこにさまよったのでしょう。
私は、他所で葬儀を行った明細書を多数集めていますが、それによると、西湘地区の葬儀社の殆どが余分返し葬儀を行っていて、上述の奥さんの言葉通りになっています。
これをストップさせるには、半返し葬儀を実践する葬儀社に育ってもらうしかないと考えた私は、現在協力葬儀社とともに新しい葬儀活動を行っています。
・そして今

平成9年、縁あって蓮台寺住職になりましたが、子供の頃に抱いた寺への疑問は消えずに残っていました。
その上、寺に対する新たな問題点も見つかりました。
これらとどのように向き合っていくかが私の課題でしたが、「やましい気持ちでいたくない。」という思いをその後の行動規範にして、少しずつ問題を解決するように努めてきました。
その結果、23年後の今では「戒名無料、寄付無し、付け届け無し」の「蓮台寺安心の三無」を宣言できるようになりました。
葬儀のやり方も変えました。
無駄を省くために本堂葬儀を積極的に採り入れるとともに、半返し葬儀を実践するようになりました。
これらは全て、やましい気持ちでいたくないという私自身のための行動でしたが、結果的には寺の評価につながって、住職就任当時の檀家数180軒が、現在は470軒になっています。
仏教の原点に戻るという言い方は大げさかも知れませんが、寺の住職である限り、この気持ちは持ち続けようと思います。